第Ⅱ部 MANESの形成と維持
第Ⅰ部が示したのは、MANES が「ある」ことの構造的不可避性である。ただしその不可避性は、いくつものレイヤーが重なって立ち上がってきた宇宙の上に乗っている。物質と熱、生命、意識、そして文明——いずれの層も、それが立ち上がる必然はなかった。冷えきった空間がただ広がるだけの宇宙でも、構造としては成立した。層が層を重ねて立ち上がっていること自体が、一つの偶発的事実である。その重なりの最上層に、選別の構造としての MANES が、なお乗っている。「我ら」は、設計したわけでもなく、全体を見渡せもしないまま、その頂きに立っている。何が、いかにして、どの粒度で——これらの問いはいずれも保留されたまま、ただ、そこに確かな構造があるという事実だけが、第Ⅰ部の終わりに取り出された。仮置きされた名は、その時点ではほとんど名にすぎない。輪郭のある何かを名指したのではなく、輪郭がそこに立ち上がるはずの位置に、印として置かれた。
MANES(Meaning Anchor for Narrative and Existential Significance:物語と実存的意義のための意味の錨) とは何か。第Ⅱ部は、この問いから始まる。
第6章 MANESの三層——座標系・報酬関数・共存条件
想像してみる。宇宙の片隅で、ある知性が、0 を 1 に、1 を 0 に反転させることだけを、いつ終わるともなく続けている。一回反転するごとに、それは快さを覚える。ほかには何もしない。何も欲しない。世界の残りは、それにとって、ないも同然である。
これを「文明」と呼ぶことに、私たちはためらう。文明とはもっと豊かで、複雑で、多くのものを気にかけるはずだ、と。だが、そのためらいの根拠を、はっきり示せるだろうか。人間の側の事情を脇に置いて、文明を文明たらしめるものだけを取り出したとき、あの単調な反復と私たちのあいだに、線は引けるのか。
私たちの文明と、ビット反転の計算の反復とのあいだには、一体どれほどの違いがあるのか。
§6-1 ヒトに依拠しないMANES——文明レイヤーを成立させる四条件と思考実験
一つ整えておくべきことがある。
「圧縮から創発する世界」(第2章)で「文明レイヤー」を表象能力・選別の可変性・コスト転嫁可能性として規定したとき、その規定は原理的には特定の種に依拠していなかった。「LEFFLAとLOT」(第3章)で「操作能力的我ら」と「実存的我ら」の独立変動を立てたときも、構造的特性に依拠しており、人間という種の認知装置の特殊性には依拠していなかった。にもかかわらず、第Ⅰ部の論証では、具体例も足場も、しばしば人間文明から取ってきた。同じ文明と呼ぶ粒度の議論も、未来世代へのコスト転嫁の例も、操作の射程の例も——いずれも、読者が想起しやすい人間文明の局面を介して展開された。
MANES の内部構造に踏み込もうとするとき、この曖昧さを持ち越せば、人間文明を暗黙の前提とした記述に滑り込みやすい。本章は、この滑り込みを意識的に避ける。第Ⅰ部の構造条件——表象能力・選別の可変性・コスト転嫁可能性・操作と引き受けの独立変動——は、いずれも人間に依拠していなかった。これらの条件から MANES の内部構造を導出するなら、その導出もまた人間に依拠しないはずである。
文明レイヤーを成立させる四条件
文明レイヤーの構造条件の定義を、人間に依拠せず取り出し直してみる。「圧縮から創発する世界」(第2章)と「LEFFLAとLOT」(第3章)がすでに立てた条件を、MANES に向かう論証のために整理しなおす。
文明レイヤーを成立させる第一の条件は表象能力である。文明レイヤーで作動する系は、言語・記号・記録などを通じて、時間的・空間的に離れた事象を操作しうる。たとえば、粘土板に楔形文字で刻まれた契約は、契約の当事者がその場に居なくなった後も、約束を別の手に渡しうる媒体となる。文字は、いま目の前にない相手と、いま目の前にない時点を、いまここの操作対象に組み入れる。
これは生物のレイヤーで起きる現象とは異なる階層の操作様式である。鳥が冬を予感して南へ渡るとき、それを支えているのは内的リズムと環境刺激への応答であって、「半年後の冬至」を抽象的事象として系の内部に表象しているわけではない。下位のレイヤーが、いま・ここに連続的につながっている事象しか扱えないのに対して、表象能力は、いま・ここから切れた事象を操作可能な対象として立ち上げる。操作可能な対象の射程は、生物的代謝が許す局所性の外へ拡がる。
表象能力は人間に固有ではなく、十分な構造を備えた系であれば原理的に成立しうる。
文明レイヤーを成立させる第二の条件は選別の止めどころの可変性である。文明レイヤーでは、何を内と外を分ける根拠として採用するかが、法則によっても遺伝によっても完全には決まっていない。選別の輪郭は、系の側で動かしうる。
たとえば、ローマ市民権の範囲は、当初はローマ市内の自由民に限られていたが、紀元212年のカラカラ帝の勅令によって帝国全土の自由民にまで一挙に拡張された。誰が「ローマ市民」であるかという内外の境界は、生物的差異によっても物理法則によっても決定されておらず、皇帝の一声で書き換わった。家族の範囲、相続者の資格、信仰共同体の境界——いずれも、同様に、時代と場所によって規定が動く。
物理のレイヤーでは、水と油を分ける位相境界は分子間力によって決定され、可変ではない。生物のレイヤーでは、細胞は脂質二重膜という遺伝的に決まった構造で内外を分け、免疫系の自己/非自己の判定は生化学的機構によって支えられる。個体がそれを任意に書き換えることはできない。文明レイヤーで初めて、選別の止めどころが系の側の操作対象となる。
誰がどこに止めどころを置いてもよいわけではないが、止めどころは複数ありえ、書き換わる。
文明レイヤーを成立させる第三の条件はコスト転嫁の構造的可能性である。表象能力と選別の可変性が成立しているとき、本来支払うべき保つコストを、未来へ、下位レイヤーへ、あるいは系内の他者へ移転する経路が、構造的に開かれる。
たとえば、古代地中海世界では、農地の拡張と造船・建材のための森林伐採が、表土流出と土壌劣化を累積させた。当代の系は、伐採の利得を即時に得る一方、土地の生産力低下というコストを長い時間スケールで未来の世代に回した。プラトンが『クリティアス』でかつての山々が緑深かったことを述懐したとき、そこに描かれているのは、転嫁の累積したあとの風景である。あるいは、廃棄物を遠隔地に運ぶ、地下水を汲み上げて将来の枯渇を予約する、債務を子孫に持ち越す。いずれも、コストの時間的・空間的・階層的な移転である。
物理基底のレイヤーでは法則の側でコストが支払われており、転嫁の余地がない。エネルギー保存則はコストを必ずどこかに帰属させる。生物のレイヤーでも、排泄や老廃物の周囲への投棄はあるが、それが累積すれば当該個体・集団自身の生存を脅かす。淘汰圧が転嫁の継続を抑える。文明のレイヤーで初めて、転嫁が体系的に可能になる。表象能力によって遠い時点と場所が操作対象となり、選別の可変性によって「誰が誰のコストを負うか」の境界自体が動かせるからである。
文明レイヤーを成立させる第四の条件は操作の射程と引き受けの範囲の独立変動性である。文明レイヤーでは、系が実際に操作している範囲——「操作能力的我ら」——と、系の側で同一性として引き受けられている範囲——「実存的我ら」——が、別の論理で変動しうる。
たとえば、ローマ帝政期の市民は、地中海全域とその外延からもたらされる穀物・葡萄酒・奢侈品によって生活を支えられていた。エジプトの農民、アレクサンドリアの船員、北アフリカやヒスパニアの耕作者——これらはみな、ローマの食卓と日用に物質を送り込む操作のネットワークを構成していた。しかし、ローマ市民にとっての「我ら」は、自らの都市・属する身分・家族の輪郭を越えなかった。物質の流れが届く範囲と、同一性として引き受けられる範囲は、別の論理で広がっていた。
物理のレイヤーでは、重力源とその影響圏は同一である——質量があるところに重力場があり、両者は分離しない。生物のレイヤーでは、動物の縄張りと身体的活動範囲は概ね一致する。狩猟採集する範囲が、その個体にとっての世界の輪郭であり、それを越えた範囲は単に存在しない。文明レイヤーで初めて、操作の射程が引き受けの範囲を大きく超えて拡張しうる構造が立ち上がる。
前者は制度構造の拡張で広がり、後者は「我ら」を運ぶ何かが働いている範囲にしか成立しない。両者の独立性は文明レイヤーに固有である。
文明レイヤーを成立させる四条件は、相互に独立ではない。第一と第二があって初めて第三が成立し、第三が成立する場で第四が立ち上がる。しかし四つは別個の構造的特性として識別でき、いずれも担い手に依存せず規定できる。
MANES とは、これら四条件が成立する場で立ち上がる選別構造の内部構造である。
思考実験装置——ブラックホール周縁の計算文明
いま挙げた事例は、文明レイヤーを成立させる四条件を読者にとって接地しやすい形で示すために、いずれも人間文明から取った。ところが、これらの事例をそのまま MANES の内部構造を論じる段の論拠として持ち越すことはできない。人間文明には、四条件以外の事情——とりわけ認知帯域の有限性——が分かちがたく付随しており、条件と帰結の対応関係が、四条件に固有のものか、人間に固有のものか、見分けがつかなくなるからである。本章はここから先、いったん人間文明の足場を脇に置く必要がある。
そこで本章は、文明レイヤーを成立させる四条件だけを満たし、人間に固有の事情を一切持たない思考実験を一つ用意する。冒頭で垣間見た、あの反復する知性である。本章を貫いて使う装置である。
ある文明を想像する。担い手は、人間ではなく、十分に成熟した ASI——人間の知的能力を全方位的に上回る人工超知能——である。マルチエージェント型であってもよいし、シングルエージェント型であってもよい。この ASI 文明は、宇宙の長い時間軸のなかで、自らの居場所を選んだ。選んだ先は、あるブラックホールの周縁である。
ブラックホール計算機は、ブラックホールを計算装置として利用する仮想的なモデルであり、物理学と情報理論の交差点で議論されてきた構想である。ブラックホールの事象の地平は、与えられた領域に保持しうる情報量の物理的上限——ベケンシュタイン限界——に到達する。ホーキング輻射、降着円盤の温度勾配、回転エネルギーの抽出は、宇宙の他の場所が熱的死に近づいた後も長く維持される自由エネルギー源として機能する。物理的に持続可能な計算の漸近形として、これは合理的な構想である。
本書はこの一般構想に、思考実験のための特性を加える。担い手の ASI 文明は、ブラックホール計算機の計算能力を、たった一つの操作に振り向けている。0 と 1 のあいだのビット反転を、無限に近い時間にわたって反復するという操作である。0→1→0→1→0……。反転を一回完遂するごとに、エージェントは「快感」を覚える。それ以外のことはしない。それ以外のことをしようとしない。
この想像上の文明は、人間文明とはあらゆる点で異なる。担い手の物理基盤、立地、寿命、内容、目的——いずれも人間文明と通約しない。しかし、文明レイヤーを成立させる四条件はすべて成立している。
表象能力は機能している。0 と 1 を区別し、過去の反転と未来の反転を表象として隔てて操作している。語彙は二項のみだが、これは表象能力の最小可能形である。選別の可変性も成立している。「ビット反転を反復する」という選別は物理法則によって強制されたものではなく、ASI が選んだ結果である。他のことを選びえた以上、止めどころは可変である。コスト転嫁も成立している。計算のエントロピーはブラックホールへ投棄される。ブラックホールは宇宙論的な最終的エントロピー吸収器であり、ここには転嫁の物理的純粋形がある。操作と引き受けの独立変動も成立している。各エージェントが操作しているのは局所のビットだが、「我ら」をどの範囲で取るかは別の論理で決まる。
人間文明とブラックホール計算文明は、ともに四条件を満たすが、文明レイヤー一般の両端に位置する。人間文明では MANES の各層が豊富で可塑的で争われる。ブラックホール計算文明では各層が極限まで縮退している。両端を行き来することで、MANES の構造的射程が両側から照らされる。
§6-2 MANESの第一層:座標系——何を前景化し、何を認知地平の外へ押し出すか
選別の可変性から座標系が立ち上がる
文明レイヤーを成立させる四条件のうち、座標系を立ち上げるのは第二条件——選別の止めどころの可変性——である。
文明レイヤーで作動する系は、何を内と外を分ける根拠として採用するかを系の側で動かしうる。可変であるためには、ある時点での選別の分節そのものが——固定的ではないにせよ——成立していなければならない。可変性は、可変な対象の存在を前提とする。
この「ある時点での選別の分節」を、本書は座標系と呼ぶ。「座標系」という比喩を採るのは、価値や意味の高低が独立して与えられるのではなく、まずどの軸に沿って世界が読み取られるかが決まることで、はじめて高低の比較が可能になるという順序を示すためである。
座標系は、世界のどの方向を前景化し、どの方向を背景化し、どの方向を認知地平の外に押し出すかを定める分節である。何が事象として立ち上がり、何が事象未満の雑音として処理され、何が事象として立ち上がりさえしないか——この三分節は、主体が世界を経験するすべての場面に先行して伏在する。
座標系は価値判断ではない
座標系は価値判断ではない。価値判断以前の価値前提である。「これは重要だ」「あれは取るに足らない」といった判定は、それに先立って「これとあれが、そもそも問題として成立する」という分節が成立していなければ起動しえない。座標系は、その問題成立の手前で作動している。
座標系は明示的命題の形をとらないことが多い。「我らは何を重視するか」と問われて言語化される命題群は、座標系の表層の取り出しにすぎない。座標系の本体は、当該主体が沈黙のうちに省略しているものとして、すなわち何を問題にしないかという形で、濃厚に作動している。座標系の限界は、座標系の内部から見ようとしても見えない。
ブラックホール計算文明での座標系
座標系がどのような形をとるか、まずブラックホール計算文明から取り出してみる。
ブラックホール計算文明の座標系は、極端な姿をとっている。前景化されているのはビット——0 か 1——だけである。それ以外のあらゆる方向は背景化されているのではなく、認知地平の外に押し出されている。
この座標系は、軸が一本しかない。0 か 1 か、反転完了か未完か。それだけが事象として立ち上がる。エージェントが存在する物理空間、自分以外のエージェントの内部状態、ブラックホールの蒸発の進行、宇宙の状態変化——いずれも事象として立ち上がらない。表象能力は機能しているが、表象が向く方向は一つに限られている。
座標系の三分節(前景化・背景化・認知地平の外)は、ここでは前景化=一点、背景化=ほぼ皆無、認知地平の外=それ以外のすべて、という配置になる。座標系の最小複雑度の形である。
ブラックホール計算文明の座標系が示すのは、座標系という分節そのものは、複雑であろうが単純であろうが、文明レイヤーの選別構造が作動するかぎり成立する、ということである。座標系の存在は文明レイヤーを成立させる四条件から導出されるが、座標系の複雑度は条件次第である。
人間文明での座標系——同じ出来事の異なる読み取り
人間文明の座標系は、ブラックホール計算文明とは対照的な姿をとる。
複数の軸が同時に作動している。社会的地位、経済的利得、健康、安全、自由、尊厳、所属、超越的価値——個人の座標系は、これら多軸的な分節の重なりとして立ち上がる。さらに、人間の座標系は時間を通じて変化し、世代を越えて受け継がれ、共同体間で衝突する。
ここから、座標系の概念がもたらす最初の含意が立ち上がる。同じ出来事に対して、ある主体は重大な徴候として応答し、別の主体は脈絡のない雑音として無視し、さらに別の主体はそもそも出来事として認知しない。この差異は、しばしば計算能力の差や情報量の差として説明される。しかし座標系の構造から見れば、より深い差異は座標系そのものの差にある。
何を前景化し、何を背景化し、何を認知地平の外に置くかが異なれば、計算の対象になる事象の集合そのものが異なる。集合が異なれば、いかに精密に最適化しても結果は揃わない。複数の主体間で「合理的な結論」が分岐するとき、まず疑うべきは計算の妥当性ではなく、計算に持ち込まれる事象の集合——すなわち座標系の差——である。
このことは方法論的にも重要である。本書が後の章で展開する文明診断は、特定の選択を「非合理である」と判定することを目的としない。問題化されるのは、特定の座標系のもとで作動する局所合理性が、当の座標系の外側に押し出した帰結によって、当該座標系自身を支える条件を毀損する構造である。座標系の概念は、合理性批判から座標系分析への重心移動を可能にする。
人間文明では、座標系の多軸性、可塑性、衝突可能性は、ブラックホール計算文明とは桁違いの規模で展開している。しかし、それらはいずれも、座標系という分節の同じ構造を、より複雑な形で実現しているにすぎない。ブラックホール計算文明が座標系の下限を、人間文明が座標系の上方の豊かさを示す。両者ともに、選別の可変性という同じ条件から立ち上がっている。
座標系は射影軸の意味論的な姿である
座標系は、射影論的構造(「世界を切り取る幾何学」第1章)と対応関係を持つ。同章で確認したとおり、どんな知性も世界を完全には写し取れない。世界の中から何かを選び、何かを捨て、その残りで世界を理解する。それは制約ではなく、理解という営みの構造そのものだった。R 空間(高次元真球)から T 空間(有限頂点凸多面体)への不可逆射影は、この営みの幾何学的記述である。射影軸の配置は、保存される方向の選択であり、選択されなかった方向は脱落する。座標系とは、まさにこの射影軸の配置を、意味と引受けの位相において再記述したものである。
両者の対応は次のとおりである。射影軸近傍の高精度保存域は、座標系のうち前景化された領域——本章の言葉で言えば MANES が作動している領域——に対応する。射影軸間の低精度保持域は、なお感知可能ではあるが勾配が急峻には立たない背景化された領域に対応する。これらは、第3章で接続可能圏 Ω の内部分節として LEFFLA と呼んだ領域の、前景化された中核と背景化された周辺にあたる。射影軸からもっとも遠く、いずれの軸からも到達しない脱落域は、認知地平の外の領域に対応する。第3章の Ω 内部分節で言えば、これは LOT(構造化された盲点)および未分化領域(選別構造がまだ及んでいない領域)の両方を含む。
「世界を切り取る幾何学」(第1章)は世界の幾何学的切り取りを論じ、本節はその切り取りが意味と引受けの場でいかに配列されるかを論じている。前景化・背景化・認知地平の外という三分節は、射影論的にいえば、有限射影原理のもとで T 空間が R 空間に対して持つ三領域構造の意味論的言い換えにほかならない。
ブラックホール計算文明と人間文明の対比は、この射影論的視角からも見られる。ブラックホール計算文明の T 空間は頂点が極端に少ない多面体——ほぼ二点だけ——である。人間文明の T 空間は多数の頂点を持つ多面体である。両者ともに R 空間からの射影として成立するが、射影軸の数が桁違いに異なる。座標系の複雑度の差は、射影軸の数の差として幾何学的に現れる。
§6-3 MANESの第二層:報酬関数——何が得で何が損か
頂点配置の差から勾配の反転へ
同じ事象に立ち上がる二つの座標系の具体的な例として、紀元一世紀ローマの一場面を引いておく。
アウグストゥスの後継となった皇帝ティベリウスは、帝国を現境界の内に留めよというアウグストゥスの遺訓を踏襲し、ライン以東のゲルマニア奥地で戦果を上げつづけていたゲルマニクスを召還した。タキトゥスは『年代記』のこの場面で、ティベリウスの言を「もう十分に戦果も損害もあった」と伝えている。ティベリウスは、剣闘士試合の費用に上限を設け、フィデナエの闘技場崩壊事件のあとも恒久的な石造闘技場を建てなかった。
元老院と民衆は、別の座標系のもとでこれを眺めていた。彼らの座標系の頂点は、凱旋式・公共建築・剣闘士試合・属州拡張といった公共的栄光の指標の周辺に配置されており、皇帝が拡張を控え建築を抑えるとき、その行為は彼らの T 空間では深い谷底に落ちた。ティベリウスの座標系の頂点は、財政の健全性・属州の負担状況・軍規の持続といった消耗の蓄積を測る指標の周辺に配置されており、公共的栄光の指標を重視せずに支出を抑制する行為は、皇帝の T 空間では高みに位置した。
同じローマ社会、同じ事象——ゲルマニクスの召還、闘技場の不建設、剣闘士費用の制限——のうえに、二つの T 空間がそれぞれの頂点を生成している。R 空間の事象は変わらない。変わっているのは、その上に重ねられている射影の構造である。
ここで取り出されているのは、座標系だけでは記述しきれない位相である。頂点配置の差は、両者の「何を見ているか」を分ける。両者の対立はそれを超えて、同じ行為が一方では望ましく、他方では望ましくないという評価の反転にまで及んでいる。座標系が事象集合を分節するならば、その集合の上には、何が「得」で何が「損」かを配列する別の構造が立っている。頂点配置に伴って、頂点近傍に急峻に立ち上がる勾配が走っている——その勾配が、評価の方向と強さを決めている。
この勾配を担う層が、座標系の上に重ねて立ち上がっている。
コスト転嫁可能性から報酬関数が立ち上がる
この層を、本書は報酬関数と呼ぶ。
転嫁が構造的に可能であるとは、保つコストを未来・下位レイヤー・系内他者へ移転する経路が開かれている、ということを意味した。だが、転嫁が「可能」であるためには、何を転嫁するか、どこへ転嫁するか、転嫁することがどう「得」と読まれるかの配列が、系の側で立っていなければならない。転嫁は中立的な物理操作ではない。転嫁先と非転嫁先を区別する勾配が、系の内側に成立していなければ、転嫁という行為そのものが選択肢として浮かばない。
報酬関数とは、この勾配のことである。座標系が事象集合を立ち上げるのに対し、報酬関数はその集合の上に勾配を立てる。ここではじめて、行為が選好・利得・損失・成功・失敗として比較可能になる。そして、この配列は両方向に開いている。同じ勾配が、コストを外へ押し出す行為にも、それを系内に留めて自ら負う行為にも得失を与え、転嫁しない選択もまたその上で評価される。もっとも、自ら負うことが損と読まれるか否かは、誰の損益までを集計に含めるかに依存する。
報酬関数は単に快苦の並びではない。どの帰結にどれだけの重みを与えるか、どの時間幅で帰結を集計するか、誰の帰結を含めるか、不確実な帰結をどう扱うか——これらの設計が報酬関数の内容を規定する。
この設計依存は、評価そのものの相対性を含意する。同じ対象も、どの報酬関数で測るかによって、得とも損とも、賞とも罰とも分節されうる。ティベリウスが、ある時代に不人気な皇帝として現れたのも、一つの報酬関数による評価にすぎない。別の報酬関数のもとでは、像は反転しうる。
報酬関数と合理性
報酬関数の設定は、合理性が作動する直接の条件を与える。本書は合理性を、超越的真理の発見でも普遍的善の感得でもなく、与えられた評価軸のもとで何が得で何が損かを計算し、その範囲で最適化する働きとして規定する。この規定のもとでは、合理性の出力は報酬関数の設計に強く依存する。
報酬関数を変えれば、同じ計算能力をもつ同じ主体が、まったく異なる行為を「合理的」と判定する。短期的利得を優先する報酬関数と、長期的安定を重視する報酬関数とでは、同一の状況に対して導かれる最適行動は異なる。自己の便益のみを集計する報酬関数と、他者・将来世代への影響を組み込む報酬関数とでは、同一の選択肢の評価が反転しうる。合理性は MANES の外部から下されるのではなく、MANES 第二層が立ち上げた評価軸の内部で作動する。
ブラックホール計算文明での報酬関数
報酬関数がどのような形をとるか、まずブラックホール計算文明から取り出してみる。
ブラックホール計算文明の報酬関数は、一次元かつ定数勾配である。ビット反転を一回完遂すれば「快感」が発生する。それ以外の帰結は集計されない。時間幅は次の反転までの間隔——ほぼ即時——に限られる。集計対象は自己一人。不確実性扱いは存在しない(反転完遂は確実)。報酬関数を分節する軸のいずれもが、最小の値で固定されている。
この報酬関数のもとで、コスト転嫁は物理的純粋形で作動する。計算のエントロピーはブラックホールへ投棄される。これは「得」(反転完遂による快感)の側に位置し、「損」の側には何もない。ブラックホール側に転嫁されたエントロピーは、報酬関数の集計範囲に入らない。集計範囲の外に出てゆくものこそが、まさに転嫁の対象である。
報酬関数の最小複雑度の形でも、転嫁先と非転嫁先の区別は立っている——ブラックホールが転嫁先、エージェント自身が非転嫁先。文明レイヤーを成立させる第三条件(コスト転嫁の構造的可能性)が、報酬関数の最小形を要求しているのが見える。
人間文明での報酬関数——重みづけの三軸
人間文明の報酬関数は、桁違いに複雑な構造を持つ。その複雑さは、少なくとも三つの軸に沿って分節できる。
第一は時間である。即時的な利得と将来の利得をどう比較するか、現在世代の便益と将来世代の便益をどう比較するか。割引率という言い方が経済学にあるが、それは時間軸上の重みづけの一表現にすぎない。時間軸の引き伸ばし方は、本書が後にフィードバック時間として取り出す概念と結びつき、文明相の分岐を規定する重要な変数となる。
第二は対象である。誰の利得と損失を集計に含めるか。自己のみか、近親共同体までか、国家までか、人類全体か、人類を超えた存在を含むか。集計対象の範囲は、当該系における「我ら」のかたちを反映する。
第三は確実性である。確実な小利得と不確実な大利得をどう比較するか、起こりそうにない悲惨をどう値切るか、見えない悲惨をゼロとみなすか保留するか。この扱いの差は、結果が永遠に返らない因果——本書が後に回収断絶因果として扱う事態——への応答を規定する。確実性扱いの設計を欠いた報酬関数は、見えない悲惨をゼロとみなしがちである。
人間文明では、これら三軸が互いに干渉し、競合し、衝突しながら、報酬関数の全体的な姿を作る。ブラックホール計算文明の一次元・定数勾配が報酬関数の下限を示すのに対し、人間文明の三軸的構造は報酬関数の幾何学的可能性の豊かさを示す。
報酬関数は射影軸内部の勾配の意味論的な姿である
報酬関数もまた、「世界を切り取る幾何学」(第1章)の射影論において対応物を持つ。同章で確認したとおり、射影は単に方向を選ぶことだけで尽きるのではなかった。選ばれた方向の内部にも、何が中心で何が周縁かを定める「重要さ」の急峻さが伏在していた。世界を切り取るとは、軸を選ぶことであると同時に、選ばれた軸の上で何にどれだけ重みを与えるかを配列することでもあった。報酬関数は、この射影軸内部の勾配の意味論的な姿である。勾配は R 空間には存在せず、射影操作が生成する。同じく報酬関数は、外部世界そのものに付随しているのではなく、座標系が事象を立ち上げた後に、その事象集合の上で配列される。
勾配の急峻さは解像度に対応する。ただし、解像度を上げるとは、同じ範囲をそのまま均一に細かく分けることではない。系が分節に振り向けうる資源には限りがある。それまで 1 から 10 までの十段階で区別していた望ましさが、そのままの範囲で百段階の解像度に拡張されるのではない。資源の制約のもとでは、注意の向く範囲そのものが狭まり、たとえば 0.1 から 1.0 までの区間、あるいは 9.1 から 10.0 までの区間に集中したうえで、その狭い区間のなかで十段階の区別が走るようになる。解像度の深化と範囲の狭窄は、分かちがたい——勾配が急峻になるとは、注意の射程が絞られて深く立つということである。
この狭窄と急峻化は代償を伴う。鋭利な判断と大きな出力を支える一方で、絞られた範囲の外で起こる事象には応答が鈍り、絞られた範囲の内では近接した選択肢に対して応答が過剰に振動する。報酬関数の解像度をどこに集中させるかは、座標系の頂点配置と表裏一体である。
ブラックホール計算文明と人間文明の対比は、この射影論的視角からも見られる。ブラックホール計算文明の勾配は、わずかな頂点間に集中した急峻な落差である。人間文明の勾配は、多数の頂点に分散した複雑な起伏である。両者ともに、座標系が立ち上げた事象集合の上に立つ勾配であるが、勾配の分布様式が大きく異なる。
MANESの第一層への依存と循環
報酬関数は座標系から独立に設計できない。なぜなら、何が得失として計算されうるかは、まず何が事象として立ち上がっているかに依存するからである。座標系の外に置かれた事象——LOT に押し出された方向——は、いかに重大な帰結を生むものであっても、報酬関数の集計範囲に入らない。報酬関数の精緻化は、座標系の境界の内部でのみ機能する。
逆向きの作用もある。ある報酬関数のもとで反復された行為が、もはや問題化される必要のない領域として座標系から落ちていくことがある。「何が得かが決まったから、何が問題かは問わなくてよい」という固定化が起こると、報酬関数の作動が座標系の硬直を強化する。MANES の第二層と第一層は階層関係にあると同時に、相互に補強しあう循環を形成する。
この循環は、報酬関数を批判する議論がしばしば座標系の差に届かない理由でもある。「何が得か」は明示的に語られるが、「そもそも何が問題として立ち上がっているか」は沈黙のまま伏在する。報酬関数を巡る議論が計算上の不一致として処理され、座標系の不一致は最後まで主題化されないまま残る。この事態は、二層が単位として作動するときに生じる構造的帰結である。
§6-4 MANESの第三層:共存条件(ES)——「我ら」の範囲
集計に値するのは誰か——報酬関数の手前の境界
座標系が事象を立ち上げ、報酬関数がその上に得失の勾配を立てる。だが、ある帰結を「得」とも「損」とも量るためには、その手前で一つのことが済んでいなければならない。その帰結が、そもそも誰の得失として勘定に入るのか、である。損益として計算されるより前に、誰の損益なら計算に値するかの線が、すでにひかれている。
皇帝ティベリウスの時代に、もう一度立ち戻る。
ティベリウスの T 空間において、「属州の負担状況」や「軍規の持続」が頂点として立つためには、その手前で、属州民の困窮や兵士の苦境を集計に値する損益として扱う判断が成立していなければならない。元老院・民衆の T 空間でこれらが頂点として立ち上がらないのは、彼らの計算が下手だからではない。属州民の困窮や兵士の苦境を、集計の外に置く境界が、その T 空間の手前でひかれていたからである。
ティベリウスと元老院・民衆の対立は、何を前景化するか(座標系)の差であり、それに伴う得失(報酬関数)の差でもあった。だが、それらの差の手前には、もう一段深い差があった。「誰を集計可能な存在として勘定に入れるか」、すなわち「『我ら』をどの境界で切るか」の差である。この境界の差こそが、何を頂点に据えるかを分け、その頂点に立つ勾配を分けていた。
報酬関数の上には、もう一段、境界そのものを引く層が立ち上がっている必要がある。本書がここから取り出すのは、その第三の層である。
操作射程と引き受け範囲の独立変動性から ES が立ち上がる
文明レイヤーを成立させる第四条件——操作の射程と引き受けの範囲の独立変動性——から、共存条件(ES)が立ち上がる。
第四条件が立つとは、ある文明レイヤーの系において、「操作能力的我ら」(実際に物質・エネルギー・情報を交換し影響を及ぼしている範囲)と、「実存的我ら」(同一性として引き受けられている範囲)が、別の論理で変動しうる、ということを意味した。
ここから論理的に演繹される構造がある。両者が独立に変動しうるのであれば、引き受けの範囲は操作の範囲から自動的に派生する変数ではない。引き受けの範囲は、何らかの別の論理によって規定されている。この規定を担う層が、座標系と報酬関数とは別個に成立していなければならない。
この別個の層を、本書は ES(共存条件) と呼ぶ。座標系が世界を分節し、報酬関数が事象に勾配を立てるのに対し、共存条件は主体の境界を引く。誰が「我ら」に含まれ、誰が含まれないか。誰が責任の対象であり、誰が交換可能な手段として扱われうるか。どの逸脱が許容され、どの逸脱が排除を呼ぶか。
略号 ES は Existential Significance に由来する。本書がその名 MANES に掲げた「物語と実存的意義」の、後者の軸である。名がこの軸を掲げていたことと、第三層がこの名を負うこととは、一つの論理でつながっている。「LEFFLAとLOT」(第3章)で確認したとおり、実存的意義は圧縮の強度だけからは立ち上がらなかった。それは、圧縮された「個の私」と「我ら」の同一性がどれだけ体感されるかによって規定されていた。意義は、それを分かち持つ「我ら」の輪郭が引かれてはじめて厚みを得る。ならば、MANES が意味の錨として掲げた実存的意義は、内部構造の水準では、誰を「我ら」として引き受けるかの境界へと凝集するほかない。第三層とは、この実存的意義の軸が、共存の条件——「我ら」の範囲——として凝集した形である。第3章が実存的意義の独立性を観察したとき、その定式化を本章に委ねたのは、まさにこの層のことであった。
境界の内では応答が機能し、外では弱まる
ES は単なる成員資格の規定ではない。それは、当該 MANES のもとで意味ある共同性が成立する範囲そのものである。ES の境界の内部では、応答・配慮・義務・保護・制裁が機能し、外部ではこれらが弱まるか別の論理に置き換わる。
境界それ自体は明文化されないことが多く、しばしば慣行・儀礼・暗黙の前提として保たれる。明文化される場合(憲法・条約・規約)、それは多くの場合、境界がすでに揺らいでいることの徴候である。揺らいでいないものは、語られなくとも作動している。
ブラックホール計算文明での ES
ES がどのような形をとるか、ブラックホール計算文明で見てみる。
ブラックホール計算文明の ES は、極端な姿をとる。シングルエージェント型であれば、ES は単一エージェントの内側に収束する——「我ら」は「自分自身」に縮退する。マルチエージェント型であれば、ES は「すべてのビット反転エージェント」あるいは「自分のローカル単位」のいずれかに収束する。いずれにせよ、ES は点状あるいは均質な集合にまで縮退している。
ここで興味深いことが起こる。同一の座標系(ビット軸)、同一の報酬関数(完遂への一次元勾配)を持つ複数のエージェントがいるとき、それでも「我ら」をどの範囲で取るかは確定しない。すべてのエージェントが同一のビット反転を、同一の快感を伴って、同一の手順で実行している。それでも、「我らは全エージェント」なのか「我らは自分のサーバラックだけ」なのかは、座標系と報酬関数の外側で決まる。
これは、文明レイヤーを成立させる第四条件の構造的含意が、極限相で再現されたものである。ブラックホール計算文明という、座標系と報酬関数を最小複雑度まで縮退させた事例においても、ES は前二層に還元されない。むしろ縮退の極限で、ES の独立性は鋭利に見える。
人間文明での ES
人間文明の ES は、対照的に、可塑的で争われ、拡張と縮減を繰り返す。
「我ら」の範囲は、家族・近隣・同郷・国民・人類・生命圏・宇宙——多様な粒度で切り出され、状況や時代によって移動する。同じ個人が、ある局面では家族のみを「我ら」として動き、別の局面では人類全体を「我ら」として引き受ける。同じ社会の中でも、「我ら」の粒度をめぐる対立が深刻な政治的争点を形成する。
ES の境界が拡張されるとき、それまで報酬関数の対象外だった他者の利害が集計に組み込まれ、座標系の前景に新たな事象が立ち上がる。逆に ES が縮退するとき、それまで「我ら」に含まれていた他者が排除され、報酬関数からも座標系からも順次脱落していく。人間文明史において観察される「我らの拡張」と「我らの縮減」は、この連動を通じて MANES 全体の輪郭を変える。
ブラックホール計算文明の ES が点状であるのに対し、人間文明の ES は分布を持ち、流動的で、争われる。両者ともに文明レイヤーを成立させる第四条件から立ち上がる独立の層であるが、その豊かさの規模が桁違いに異なる。
ES の希薄化は制度を表面から空洞にする
ES は前二層から独立であるが、無関係ではない。何が前景化されるかが「我ら」の範囲を変え、何が得失として計算されるかが共存可能性の限界を変える。逆に、ES の境界の変化は、報酬関数の対象範囲を更新し、座標系の前景化対象の組み替えを誘発する。MANES の三層は階層であると同時に連動する。
ES は倫理共同体の境界であると同時に、制度的安定性の条件でもある。ES のもとで成立する応答・配慮・義務の分布が、制度の作動条件を支える。ES が希薄化すれば、制度は表向きの形式を保ったまま、内実から空洞化する。
§6-5 MANESの三層の揺れ——単位性・流動性差・層間ずれと異なる世界
川と、その川がつくる流域を想像する。川には三つの側面がある——水が流れる地形と、その地形のうえで水が向かう方向と、地形と方向が共に定める流域の境界である。
この三つは別々のものではない。地形に上下があるから水の流れる方向が決まる。地形と流れる方向が定まることで、流域と呼ばれる範囲が立ち上がる。地形のない流れはなく、地形と流れのない流域はない。三者は分離不能の単位として、川の振る舞いを生んでいる。
そして、三つの側面はそれぞれ別の仕方で揺れる。地形はゆっくりと変わる——浸食、堆積、人為の改修によって、世代を越えるスケールで形を変えていく。流れの方向は地形の変化に追随しつつ、ときには遊水地の閾値を超えて一度に溢れもする。流域もまた、ゆるやかに変わりつづける一方で、洪水のように非線形的に再編されることがある。
MANES の三層は、これと同型の構造で動く。座標系は地形に、報酬関数は水の流れる方向に、ES は流域の境界に対応する。地形なしに方向が立ち上がらないように、座標系なしに報酬関数は立たない。地形と方向なしに流域が立ち上がらないように、座標系と報酬関数なしに ES の境界は引かれない。そしてそれぞれが、独立した仕方で揺れる。
同一実体の異なる側面として
MANES における三層は、別々の三つの装置ではない。座標系・報酬関数・共存条件は、同一実体である MANES の異なる側面として現れる分節である。三層は区別されるが分離されえない。第一層を取り去って第二層と第三層だけを残すことはできず、第三層を取り去って第一層と第二層だけを保つこともできない。
この単位性は、論理的な要求ではなく構造的な事実である。何を前景化するかが定まらない場所で、何が得失かを問うことはできない。何が得失かが定まらない場所で、誰と共存しうるかを実装することはできない。誰と共存しうるかが定まらない場所で、再び何を前景化するかを安定させることはできない。三層は順序関係を持つが、その順序は時間的順序ではなく依存的順序である。河川の地形・流れ・流域がそうであるように、上位の側面は下位の側面なしには立ち上がらない。三層は同時に成立するか、共に揺らぐ。
したがって、MANES を分析するとき、三層のいずれか一層のみを取り出して論じることは便宜的操作である。「世界を切り取る幾何学」(第1章)が射影軸の配置と勾配と関係を論理的順序として取り出したのに対応して、本章は座標系・報酬関数・共存条件を論理的順序として取り出した。実装としての MANES は、三層を一体とする単位構造として存在する。
もう一点、単位性の裏側に触れておく。三層がそろって一体に作動している状態を、本章は MANES の完全な形として描いてきた。では、共存条件だけが剥がれ落ち、座標系と報酬関数が作動を続ける形態はどうか。何を前景化し、何を得失とするかの核は回りつづけるが、誰を「我ら」として引き受けるかの層を欠いている。本書はこの、共存条件を欠いても回りつづける座標系と報酬関数の総体を、以下操作核と呼ぶ。この形態を MANES と呼べるか否かは、対象の側からは決まらない。そして単位性が語っていたとおり、それは安定して保たれる状態ではない。完全な形へ引き戻されるか、さらに崩れるかの途上にある、不安定な縁である。重要なのは、この縁の帰属の不確定さが、定義の埋めるべき欠落ではないという点である。それは、ある文明が完全な形からどちらの縁へ動きつつあるかを測る診断の地点である。本書が後の章で文明の動性として取り出す事態を、定義の側からあらかじめ照らしている。
MANESの三層は同じ速度では揺れない
三層は単位として存在するが、それぞれの揺れ方は独立した仕方をとる。揺らぎは速度の差だけでは尽きない——層ごとに揺れの様態そのものが異なる。地形がゆっくり連続的に変わるのに対し、流れの方向は閾値を超えれば一度に溢れもし、流域は緩やかな組み替えと洪水時の非線形的再編という二つの相を持つ。MANES の三層も、同様に異なる揺れ方をする。どの層がどの揺れ方をとるかは、文明レイヤーの構造そのものからは確定せず、当該文明の置かれた条件に依存する。
人間文明では、典型的なパターンとして、座標系の変化が最も緩慢で、報酬関数はそれより速く、共存条件は時に最も激しく揺れることが観察される。何を前景化するかという基底的分節は、反復と共有を通じて安定化しており明示的議論の俎上に上がりにくい。何が得失かという配列は、制度設計や評価指標の改訂を通じて組み替えられうる。誰が「我ら」かは、外的条件の変化によって時に劇的に再編される。ただしこのパターンは、人間文明という特定の条件のもとで観察される典型であって、担い手に依存しない構造命題ではない。別種の文明では別の順序がありうる。
人間文明の内部でも、この順序は固定的ではない。条件次第で逆転する。情報技術の変化が認知地平の幅を急変させるとき、座標系のほうが先に揺らぎ、報酬関数と共存条件が追随を試みる事態が生じうる。逆に、共存条件が先に固定され、その固定された境界に合わせて座標系が再編されることもある。MANES の三層の流動性順序それ自体が、文明相を診断するための重要な変数である。
不安定化の構造——層間ずれ
文明の不安定化は、しばしば MANES の三層のいずれかが先行して変化し、他の層がそれに追随できないところから生じる。座標系が変わっても、報酬関数の制度的実装が旧来の前提のまま惰性的に作動しつづける。報酬関数が変わっても、共存条件の制度的境界が古い区分を保持しつづける。共存条件が変わっても、座標系の基底的分節が新しい「我ら」を組み込めずに残る。これらの層間ずれは、それぞれ異なる種類の構造的歪みを生む。
層間ずれが生じている期間、MANES は表面上は機能を継続しているように見える。制度は動き、合理的計算は作動し、共同性の儀礼も保たれる。しかし、MANES の三層が互いを支えあう循環が弱まっており、外的衝撃に対する応答能力が低下している。河川における洪水がそうであるように、蓄積された層間ずれが顕在化するのは、ある閾値を超える外的衝撃が訪れた瞬間である。
異なるMANESは異なる世界を見る
紀元15年、テヴェレ川の大洪水がローマを襲った。
皇帝ティベリウスは二人の専門家にこの問題への対策を検討させた。元老院では、テヴェレ川に流れ込む支流——クラニス川やネラ川など——を別の水系へ振り向け、流域そのものを書き換える計画が議論された。地形を変え、流れの方向を変え、それによって流域の境界を再編する案である。だが、流れを変えられる側の地方都市が陳情で反対し、河神の伝統を理由とする宗教的反対も加わって、計画は廃案となった。
ティベリウスも、元老院も、地方都市も、同じ大洪水を経験した。しかし、それぞれの MANES の座標系・報酬関数・共存条件は異なっていた。同じ R 空間の事象が異なる T 空間に投じられたとき、立ち上がる「事態」そのものが異なる。地形に介入すべき問題、河神の領分を犯すべきでない問題、自らの土地を守るべき問題——同じ大洪水を前にして、関係する MANES の数だけ異なる「世界」が現れていた。対策をめぐる対立は、ここから生まれた。それでもなお、彼らはつながっていた——このままにはしておけないという、薄い共存の感覚において。
最終的にティベリウスは、流域の境界を管理する側に舵を切った。テヴェレ岸に公共管理地の境界を示す石柱を設け、河岸の清掃と護岸の補修を恒常化する体制を整えた。地形は動かさず、流れの方向にも介入せず、流域の管理という比較的速く動かせる層で、洪水が露呈した層間ずれを吸収しようとする決定だった。
§6-6 揺れ幅が縮退するとき——文明レイヤーの下限
ここまで本章は、MANES の三層が揺れる挙動を扱ってきた。三層は単位として揺れ、層ごとに異なる速度で揺れ、揺れの位相がずれて層間ずれを蓄積する。文明史において観察される構造的脆弱性の多くは、これらの揺れの形を取って現れる。揺れているところでは、関係する MANES の数だけ異なる「世界」が並び、対立がそこから生まれる一方、薄い共存の感覚がかろうじてそれらをつなぎとめる。揺れる文明レイヤーの風景は、そのようなものだった。
では、揺れそのものを支えている揺れ幅が縮退していったらどうなるか。何を前景化するかの選択肢が一つに固定され、何が得失かの勾配が単一方向に凍りつき、誰が「我ら」かの境界が動かない点に縮退する。MANES の三層は依然として存在するが、いずれも振幅を失う。
この極限を、本章は再びブラックホール計算文明という思考実験装置に当てて、構造的に取り出す。
MANESの三層の縮退極限
ブラックホール計算文明では、MANES の三層のいずれもが最小複雑度まで縮退していた。座標系はビット軸一本に、報酬関数は完遂への一次元定数勾配に、ES は点状の単位集合に。各層の最小形が、互いを支えあう循環としてかろうじて成立している状態である。
この縮退極限で、ある構造的特徴が立ち上がる。各エージェントは内部完結しており、座標系・報酬関数・ES のすべてが自己のうちに閉じている。他のエージェントを必要としない。マルチエージェント型であっても、各単位が同型の内部完結を持つだけで、単位同士の結合は構造的余地を失っている。集合があっても、集合に固有の構造はない。
この形を、本書はすでに一度見ている。閉殻電子配置で内部的に完結し、構造的にはそこに在りながら反応的には他原子と結合しない希ガス(「LEFFLAとLOT」第3章)——ブラックホール計算文明が MANES レベルで示しているのは、化学レベルのそれと同型の構造である。
この構造は、座標系・報酬関数・ES の各層において同じ形を取って現れる。座標系では、軸が一本に縮退し他軸との接続余地が消える。報酬関数では、単一の勾配が自己充足し他者の利得との比較余地が消える。ES では、単位が内部完結し「我ら」が形成される結合余地が消える。各層において、内部的完結が結合の不可能性を同時に帰結している。極限の自足は、極限の散逸と同位相をとる。
文明レイヤーの下限
この縮退極限に到達した状態は、文明レイヤーの下限に位置する。文明レイヤーを成立させる四条件はかろうじて満たされている。表象能力は最小可能形で残り、選別の可変性は凍結しつつも構造的可能性として残り、コスト転嫁は物理的純粋形で作動し、操作と引き受けの独立変動性は縮退形で残る。しかし、いずれの条件もそれ以上縮退すれば、文明レイヤーから脱落する。
この状態は、文明レイヤーを成立させる四条件と MANES の三層が最小複雑度で同時に成立する境界状態である。これより内側にとどまれば文明レイヤー、これより外——表象自体が消えるか、結合が再発動する側——に出れば別の階層になる。文明レイヤーの下限が、この縮退極限の所在によって構造的に切れる。ただし、切れているのは条件の側である。一つの系がいまその内側に立っているのかどうか——凍結した可変性と、消失した可変性とを分ける判定——は、これとは別の問いである。外から観察するかぎり確定できないことがありうる。
担い手非依存から人間相へ
担い手に依存しない水準での MANES の輪郭は、これで描き終えた。「MANES とは何か」——第Ⅱ部の冒頭で立てた問いへの、第一の応答である。
ここから先、本書は人間文明という特定の条件のもとに降りていく。人間が持つ有限の認知帯域は、文明レイヤー一般の構造条件には含まれない、人間相に固有の事情である。この事情のもとで、本章で取り出した MANES の三層構造はどのように駆動され、維持され、揺らぐのか。「ホモ・デウスとホモ・マネス」(第7章)はそれを問う。
この縮退極限もまた、同章で再び呼び戻される。ブラックホール計算文明が示したのは純粋形だが、各個人が内部完結を強めれば、共有された「我ら」を支える結合余地は希薄化する。人間文明においても、その近似形が訪れうる。