第16章 不等式の動性——FOEモデルと三つの文明相

第Ⅳ部の入口で立てた三つの問いの二つめに入る。

重心は、どこにあるか。幾何の軸である。系がいま現に立っている足場の中で、二つの「我ら」とどう重なり、どうずれているか。

どのような幾何か。

思い浮かべてみよう。二つの多角形が動いている。片方には「O」、もう片方には「E」と書かれている。はじまりは、ひと回り大きな多角形 E のなかに、多角形 O が収まっている。E と O の両方が覆う領域、E だけが覆う領域、そして E の外側——三つの領域に分かれている。

二つの輪郭は、押し広げられ、引き縮められて、絶えず形を変える。それぞれの駆動原理で動く輪郭である。やがて多角形 O が、E の縁からはみ出した。領域が一つ増える。O だけが覆う領域が加わり、四つになった。

よく目を凝らすと、その奥に、もう一つの多角形があった。「F」と書かれている。F も動いている。だが O や E とは、動き方が違う。押されも引かれもせず、誰の手も触れていないのに、ひとりでに、ゆっくりと漂っている。どこかから絶えず流れ込み、また流れ去っていく。

いま、三つの多角形が重なっている。重なり方の違いで、領域を数えてみよう。三つすべてが重なる領域——F と O と E——が、一つ。二つだけが重なる領域が、三つ——F と O、F と E、O と E。どれか一つだけの領域が、三つ——F だけ、O だけ、E だけ。そして、三つのどれも覆わない外側が、一つ。一つと、三つと、三つと、一つ——八つの領域がある。八つのセルだ。

本章は、この座標系の上で、「我ら」が選別した領域とその動性を見ていく。

§16-1 動性の場——三つの多角形が重なる座標系

さきほど思い浮かべた二つの輪郭、O と E は、何もない宙に浮かんでいたのではない。ある広い面の上に乗っていた。いま、その面も含めた全体像に目を移す。

その真の姿は、宇宙の中で、無数の高次元の凸多面体が「連鎖する接続」でつながった構造である。このつながりそのものは人間の感覚器では不可知である。本書において、引受の不等式の動性論を構成していくためには、ここまで複雑な幾何構造は要さない。連鎖する接続をした無数の選別構造を束ねて、二次元の像に射影する。「世界を切り取る幾何学」(第1章)でメルカトル図法に見たとおり、ある面を別の面に写すには、何を保存し何を捨てるかを選ぶしかない。その意味で、本書がここで選ぶのも、メルカトル図法と同じ構えの射影である。

射影される面——宇宙そのものは動かない。引受の不等式の動性論にとっての不動の足場であり、あらゆる構造的記述は、この面の上に置かれる。これが R空間(現実) である。そして、そこに漂っていた F は、この動かない面の上を絶えず流れていくものだった。宇宙そのものの面は動かず、その上を F が流れ込み、また流れ去る。接続可能圏 Ω も文明の時間スケールでは緩やかに動くが、本章ではその動きはモデルに含めず、固定した地形として扱う。O と E は、この動かない面と Ω と F の上に、重ねて描かれていた輪郭だったのである。場は、重なりあう三つの輪郭として表現される——現実座標系、「操作能力的我ら」の範囲、「実存的我ら」の範囲。あらためて、三つを重ねてみていく。

現実座標系——接続可能圏 Ω と流動(Flux)

R空間(現実)は本書の動性論の不動の足場であり、あらゆる構造的記述はこの空間のうえに置かれる。その内部に、当該系の現在の選別構造のもとで原理的に到達しうる状態空間の全体——接続可能圏 Ω(「LEFFLAとLOT」第3章)——があり、その外側に Outer Ω(接続可能圏の外)が広がる。Ω の内部には、流れ込んでくる流動相——Flux——が、ある局在領域として広がり多角形として表現されている。Flux は、再供給されつづける生きた領域であり、系がそこから新たなものを汲みうる源である。

これら——R空間、Ω と Outer Ω、Ω 内の Flux——を本書は現実座標系と呼ぶ。

図16-1
図16-1 現実座標系——R空間 ⊃ Ω ⊃ F(Flux は Ω の局在部分集合)/Outer Ω

MANES座標系——「操作能力的我ら」と「実存的我ら」の範囲

現実座標系のうえに、もう一つの座標系が重ねられる。

MANES座標系は、当該の文明が現実座標系をどう分節して受け取るかを表す。「操作能力的我ら」(O)——当該系の行為が及ぶ範囲としての MANES 上の輪郭。「実存的我ら」(E)——当該系が因果を引き受ける範囲。そして両者の関係が第三の領域を生む——O の内側にありながら E の外側に位置する領域、あるいは O の外側に放置される領域。

「操作能力的我ら」(O)と「実存的我ら」(E)が別の輪郭として分かれること自体が、表象を操作する能力をもつ意識のレイヤーに固有である(その詳細は §16-3 で扱う)。このレイヤー以前——たとえば恒星や単細胞生物——では、引受(E)の軸がまだ立たず、流動(F)と操作(O)の二軸のみであった。引受の不等式の動性論は、E が分化したこのレイヤーを前提とする。

「操作能力的我ら」の範囲——操作の及ぶ輪郭

文明は、現実座標系に受動的に依拠するだけではない。技術・組織・物理基盤を通じて、現実に働きかける。森林を伐採して耕地に変え、鉱石を製錬して構造材を生み、地下資源を採掘し、計算資源を構築する。こうした操作の及ぶ範囲を、本書は、「操作能力的我ら」の範囲と呼ぶ。

「操作能力的我ら」の範囲は、技術と組織と物理基盤の蓄積として保たれ、世代を越えて累積する。装置として身体の外に持続するため、個別主体の生死とは独立に保持されうる。

「実存的我ら」の範囲——引受の輪郭

「実存的我ら」の範囲——当該文明が非対称性因果(「『我ら』の境界と因果の創発」第15章)を引き受ける範囲の輪郭である。当該系が誰を「我ら」とし、どこまでの帰結を自らに返るものとして引き受けるか——その及ぶ先が、この輪郭をなす。

「操作能力的我ら」が技術・組織・物理基盤の蓄積として身体の外に持続するのに対し、「実存的我ら」は装置として外に蓄積しない。いま現に引き受けられている範囲としてのみある。この非対称が動性の源になる。

図16-2
図16-2 MANES座標系の重ね合わせ——現実座標系のうえに E/O/それらが配置される

束ねられた「我ら」——この座標系が畳んでいるもの

ここで一つ、この座標系が選んでいる粗視化を明示しておく。軸に立てた O も E も、一人の主体ではない。無数の個別の主体——各自の操作の届く範囲と、各自の引き受ける枠を持つ者たち——が、神話・知識ストック・社会的既知感・制度によって媒介接続され、一つの「操作能力的我ら」「実存的我ら」として束ねられた塊である(束ねの装置は第Ⅱ部で立てた)。

第7章の三軸の座標系は、この束ねの大きさ——集合の大きさ——を独立の軸として立てていた。本章の射影は、その軸を畳み、かわりに流動(F)を輪郭として加える。二つは同じ対象への姉妹の射影であり、一方が軸として残すものを、他方は畳む。

文明を一組の O・E で描くことは、主体の粒度を畳む止めどころの選択であり、この畳み込みもまた圧縮である。ゆえに中核命題-1 に従い、束ねには束ねに固有の参照不能域が副生する。部分には見えているのに、全体には見えていないもの。全体だけが見ていて、どの部分も見ていないもの。この畳み込みの上で、以降の本部は進む。のちに本部が「停める構造条件は O の内部には存在しない」(第19章)と言うとき、その O も E も、ここで畳んだ束である。縫い目を走るこれらの因果を、本書は畳んだまま進む——束の内側へ視線が戻るのは、第Ⅴ部である。

文明相のスナップショット図——F・O・E を重ねた八つのセル

現実座標系(R空間、Ω と Outer Ω、Ω 内の Flux:F)と MANES座標系(O と E)を重ねあわせると、接続可能圏 Ω の中に、三つの多角形(F と O と E)が重なりあう射影像が見えてくる。本書はこの {Flux・操作能力的我ら・実存的我ら} の射影によるモデルを FOEモデル(FOE model)と呼ぶ。

FOEモデルの一瞬を切り取った断面が、文明相のスナップショット図である。射影像と、その中に置かれた文明の重心(→ §16-3)の位置が、ある時点の文明の内部構造を写し出す。

重ね合わせる三つの多角形の組み合わせが、八つのセルをなす。各セルは、現実座標系の中の領域であり、そこで Flux が流動しているか、操作と引受のどちらにどう捉えられているかを表す。セルの名は、三文字で記す——Flux なら F(Stock なら記号なし)、操作が及べば O、引受が及べば E、及ばなければハイフン。

規約に沿って両極を読んでおこう。「FOE」は「Flux が流動し、文明によって操作され、非対称性因果も引き受けられている」を、「---」は「Flux の流動はなく、操作も引受も及ばない」を意味する。同じ規約で残る六つのセルも記される——次のとおりである。

セルFlux/Stock操作O引受Eそのセルが指すもの
FOEFlux○○流動し、操作も引受も及ぶ。文明が現に生きて動かしている中核
FO-Flux○×流動し操作は及ぶが、引き受けられていない。流れ込みつづける比較的無害な出力源
F-EFlux×○流動し引受は及ぶが、操作が未到達。好奇心が向かう生成のフロンティア
F--Flux××流動するが、どちらの錨も捉えていない。可能性の流入源
-OEStock○○固定され、操作も引受も及ぶ。費消が負荷として返る蓄積資源
-O-Stock○×固定され操作は及ぶが、引き受けられていない。単なる資源として費消される蓄積(局所的に O > E)
--EStock×○固定され引受は及ぶが、操作は届かない。祖霊・死者・聖域への畏敬
---Stock××どの錨も届かない脱落域=LOT
図16-3
図16-3 スナップショット図——{Flux・O・E} の重なりがなす八セルと、その中に立つ文明の重心

スナップショット図は、ある一瞬の文明の内部構造を一枚に収める。重心——F・O・E の三つの輪郭のうえに立つ、束ねの焦点——は、本来 FOE にある。だが、それがどのセルへ動くか——どのセルが前景に保たれ、どのセルが盲域に落ちるか——は、静止した一枚には書かれていない。問われるのは、この動きである。

§16-2 動性の駆動——F・O・Eは独立して動く

§16-1 では、F・O・E の重なりを、ある一瞬で切ったスナップショットとして置いた。ここからは、その一枚を動かしていく——スナップショットを、動画に切り替える。動かしてみると、三つの輪郭はそれぞれ別の原理で動き、しかも地形に届く経路が異なる。

その違いを、いったん海の像で見ておく。

海は、接続可能圏 Ω である。見はるかす水平線が、Ω の縁。海面の下を、魚群が泳いでいる——これが Flux(F)。舟が一艘、海に出ている。乗り合わせた者たちが「我ら」であり、その舟が敬意をもって「我らの海」として手入れする海域が、「実存的我ら」(E)の輪郭。そして、舟から伸ばす釣り具——竿であれ網であれ——が届く範囲が、「操作能力的我ら」(O)の輪郭である。

この三つは、いずれも動く。だが、動かし方がまるで違う。

魚群は、誰の手も借りずに泳ぐ。 釣り糸を垂らそうと垂らすまいと、群れは自分の都合で寄り、また散る。どこかから流れ込み、また流れ去る。舟の側の事情とは無関係に、ひとりでに動く。

釣り具は、手で伸ばす。 漕ぎ手が腕を伸ばし、舟を進め、水平線の向こうへ漕ぎ出せば、届く範囲はそのぶん広がる。道具は舟に積まれて残り、世代を越えて受け継がれ、いよいよ遠くまで届く。押せば広がる輪郭である。

「我らの海」は、押しても広がらない。 新しい海域を「我らの海」とするには、そこを「我らの海」と感じ直す者が要る。その感覚は、道具のように積み置けない。一人ひとりの内側で抱き直され、世代を越えて語り継がれることでしか、広がらない。釣り具とは、そもそも動く原理が違う。

魚群は自律に、釣り具は道具と技術の力に、我らの海は世代の語りに——三つは三様に動く。空を見上げたとき、雲と鳥と太陽が、それぞれに違って動いて、同期した動き方をしないことに違和感を覚えることはない。むしろ、たまたま雲と同じ速度で同じ方向に鳥が飛んでいく姿を見たときに「珍しさ」を感じるのではないだろうか。F と O と E は別々に動くことが当たり前である。この三様の動きが腹に入れば、ここからの動性論は、その三つの絡み合いとして読めるだろう。

では、この三様の動きを、構造として置きなおそう。

第15章で見たとおり、「操作能力的我ら」(O)と「実存的我ら」(E)は、別の論理で動く。O は技術と組織と物理基盤の拡張で広がり、外部に物質化した装置として自走する。E は共感と教育と儀礼と物語で広がり、各個体の経験を介してしか作動しない。両者は作用し合うが、同じ動きをする保証はない——これが「操作実存独立変動」として取り出した構造である。

本章はここに、現実座標系の側の独立をもう一つ加える。Flux(F)もまた、独立に動く。Ω 内のどこに Flux が局在するか——魚群がどこに寄り、どこから散るか——は、選別構造とは無関係に自然にドリフトし、O にも E にも揃わない。

操作実存独立変動に Flux の独立が加わって、独立変動は三系統になる。これを FOEモデルの第一の構造命題として立てる。

§16-3 重心——主体を束ねる意味の焦点と、その座

動くのは、何か。本章が追う動性の主役——重心——である。

重心とは何か

文明の内部構造は、二つの「我ら」(O・E)と流動(F)が織りなす。F・O・E の三つの輪郭が重なる場には、束ねの引力が集まる一点がある——F と O と E が織りなす場の、束ねの焦点である。本書はこの、三つの輪郭のうえに立つ焦点を、文明の重心と呼ぶ。

ただし、文明の重心は、一人の頭のなかにあるのではない。多数の意識主体が、共有して志向する核である。各々の主体は、自分の重心——自分の意味の中心——をもつ。文明の重心は、それら個々の重心を、一つの「我ら」へと束ねる焦点として立つ。

自己重力系を思えばよい。多数の質点が互いに引き合って一つの束をなすとき、その束の中心——重心——は、質点が集まって生まれると同時に、質点が周回し収束する焦点でもある。文明の重心も同じである。多数の意識主体が、共有された意味へと互いに引き合って一つの「我ら」をなすとき、その焦点が、文明の重心である。集まって生まれることと、束ねることとは、別の事柄ではない。

直接に顔を合わせない主体までを、この一つの焦点へ束ねる仕組みが、媒介接続(第7章)である。共有された物語・記号・制度が、束ねの引力を、直接の接触が届く範囲を超えて伸ばす。引力の及ぶ先が、そのまま「我ら」の輪郭——「実存的我ら」(E)——をなす。

ここで一つ、確かめておく。重心が先にあって、そこから主体を引き寄せるのではない。主体が互いに束ね合うことと、その焦点としての重心が立つことは、同時にしか起こらない。何を有意な意味とするかを変えれば「我ら」の輪郭が動き、「我ら」の輪郭を引き直せば何を有意とするかが動く。選別構造と「我ら」の境界が一つの事態の二つの面であること(第15章)は、重心についても同じである。

重心は、どこに座るのか

この重心は、八つのセルのどこに座るのか。問いに答えるには、重心がどこで生まれるかを見ればよい。

文明より下の——生命・生態系の、動いている系を考える。この系は、流れ込む流動(F)から汲み、それを選別・操作する(O)。だが、引き受ける主体は、まだ立たない。果は帯域の外へ抜けるが、それを「我らの帰結」として引き受け直す軸——引受(E)——がない(第15章)。重心は、流動と操作の重なり——FO——にある。引受の軸そのものが、まだ世界に立っていない。この系は、流れが去れば——FO が -O に変われば——汲むものを失い、寿命を迎える。

ここに、引受(E)の軸が立つ段がある。表象を操作する能力をもつ、意識のレイヤーである(第6章)。表象を操作できる系は、枠組みそのもの——座標系・報酬関数・そして共存条件——を動かしうる(第15章)。果を「我らの帰結」として引き受け、応答すべき相手として位置づけ直す——この引受(E)が、ここで初めて軸として分化する。二軸(FO)の世界が、三軸の世界になる。

新たに立った引受(E)が、生きて操作されている核(FO)と噛み合うとき。流動し、操作され、引き受けられる、三つがそろう一点が、初めて成り立つ。これが FOE である。八つのセルのうち、三つすべてが重なる唯一のセル——文明という構造が、そこで初めて一つの全体として立つ場所。重心は、ここで生まれる。

文明のレイヤーは、この意識のレイヤーの上に建つ。意識のレイヤーで生まれた FOE の「我ら」を、媒介接続によって巨大な規模へ拡張したものが、文明である(第7章)。だから、文明の重心の座もまた、意識のレイヤーから受け継いだ FOE にある。

重心は、本来の座に留まる保証をもたない

重心の本来の座は、FOE にある。だが、本来の座にあることと、そこに留まりつづけることとは、別である。F・O・E は、互いに独立に動く(FOE-1)。三つがそろって噛み合う FOE は、放っておいて保たれる安定点ではない。

§16-2 の海の像でいえば、重心は、舟団が錨を下ろす一点——生きた魚(F)の上、漁具(O)の届く先、我らの海(E)の内、三つが重なる海域である。だが、魚は泳ぎ去り、我らの海は縮み、漁具は別の海へ伸びうる。錨が、効きつづける保証はない。この錨を打ち、効かせつづける作動を、本書は係留と呼ぶ。次節(§16-4)で、これがどんな仕事であるかを取り出す。

§16-4 重心の係留——放っておけば、外れる

§16-3 末で確かめたとおり、重心の本来の座 FOE は、放っておいて保たれる安定点ではない。では、何が重心をそこから動かし、何がそこに保つのか。

問いは二段で答える。まず、重心を動かす側——三つの輪郭の保たれ方の非対称と、O の論理——を見る。次に、それに抗って重心を FOE に引き戻す作動——本書が係留と呼ぶもの——の構造を取り出す。

三つの輪郭は、別の仕方で保たれる

F・O・E の三つの輪郭は、それぞれの駆動原理(FOE-1)に従って、別の仕方で保たれる。

O(操作能力的我ら) は、技術と組織と物理基盤の拡張で広がり、外部に物質化した装置として自走する。装置として身体の外に持続するため、個別主体の生死とは独立に保持され、世代を越えて累積する。成長した文明では、三つの輪郭のうち最も大きく広がるのは O である。文明が成熟するほど、O の輪郭は他の二つを覆って広がる。

E(実存的我ら) は、共感と教育と儀礼と物語で広がり、各個体の経験を介してしか作動しない。装置として外に蓄積されないため、いま現に引き受けられている範囲としてのみ存立する。E の広がりは、各世代の引受の総量として、その都度たち現れるしかない。

F(流動) は、選別構造と無関係に自然ドリフトする。Ω のうちで局在し、流れ込んでは流れ去る。F の広がりは、地形と時の経過がもたらすものであって、文明の側が広げたり縮めたりするものではない。

O は累積で残り、E は内的反復のうちにしか存立せず、F は地形と時に委ねられる。この保たれ方の非対称が、ここでの出発点である。

重心を動かすのは、O の論理である

三つの輪郭のうち、重心を本来の座から動かす側に立つのは O である。

操作(O)は、対象の内実ではなく、固定された報酬関数の最大化として作動する。この論理は、E が追随しているかを問わない。F が伴っているかも問わない。自前の勾配のまま、攫える先へ伸びる。

伸びた先が、三つのそろう FOE であるとは限らない。むしろ、そうならない。O が伸びて E が追随しなければ、操作は引受の外へ出る——重心は FO- の側へ押される。F が伴わなくなれば、操作は流れの絶えた蓄積を掘る——-OE の側へ押される。いずれも、O が及んで三つはそろわない領域である。

そして、前項の非対称が、この押しを一方向に固める。O は装置として外に残るが、E は各世代の内側で引き受け直されなければ痩せる。押す側は放っておいても残り、押し返す側は放っておけば消える。放っておけば、外れる——これが、重心が本来の座に留まる保証を持たないことの内実である。

係留——本来の座 FOE への引き戻し作動

この押しに抗って、重心を本来の座 FOE へ引き戻しつづける作動を、本書は係留(mooring)と呼ぶ。

係留作動が継続するあいだ、重心は FOE に留まる。係留が解ければ、重心は O の論理に従って FOE を離れる。本章が追ってきた「動性」の正体は、この係留と乖離のせめぎ合いである。重心が FOE から滑っていく事態を、§16-5 では係留が解ける過程として読み直すことになる(乖離・FOE-6)。

係留を担うのはなぜ E か——O は自前では何を見るか

なぜ係留作動を担うのは E であって O ではないのか。問いはここで一段、観測論的根拠に降りる。

操作(O)は、固定された報酬関数の最大化として作動する。報酬関数で測れるものは、O が観測しうる項として最適化の制約になる。測れないものは、項として立たず、最適化を制約しない。

ここに、二つの命題(第15章 §15-8)が直接効いてくる。

命題 RETURN-4:操作の側が立ち上げる接続は、報酬関数で測れる因果しかつながない。

これを連鎖する接続へ及ぼしたのが、二つめである。

命題 RETURN-5:因果を生む連鎖する接続のうち、操作の側が立ち上げる接続がつなぐのは報酬関数で測れる分にかぎられる。測れない因果は接続を断たれ、引受されないまま回収断絶因果となる。

報酬関数で測れるのは、即時回収因果である——行為と結果が現在において測れる一つの値へ畳まれる類型。報酬関数では測りきれないのが、遅延回収因果・非線形回収因果・回収断絶因果の三類型——時間を越えて返るもの、意味付け回路を介してしか結ばれないもの、当該系の時間にそもそも返らないもの(第15章 §15-7)。これらは、O が自前で観測する報酬関数の項としては立ち上がらない。

加えて、「圧縮から創発する世界」(第2章 §2-2/§2-5)で確かめたとおり、動いている系として持続することそのものに、摩擦の継続的な担いが伴う。区別された個物として接続を保ちながら動く以上、避けえない不可逆コスト——これを保持しつづけることが、存在として持続する条件である。摩擦も、O の自前の観測には現れない。O が観測するのは報酬関数の値であり、自系の構造維持に伴う不可逆コストは、その値の外にある。

ここに、二つの要件が並ぶ。報酬関数では測りきれない非対称性因果の引受と、摩擦の継続的な担い。両者とも、O の側からは観測されえない。観測されえないものは、O の最適化を制約しない。

E が係留作動を担う

これらの要件が O の最適化に項として入るためには、外から要請として供給されるしかない。供給するのは、E である。E は、O が自前では見ない領域を「我ら」として引き受け、その引受の作動を、O の最適化に拘束として課す。時間を越えて返るもの、意味付け回路を要するもの、流出した果、そして摩擦である。

これが、係留を担うのが E である根拠である。E の引受は、本来の座 FOE への引き戻しを構成する作動として O の最適化の項に入り込む。だから重心が FOE 側に引き戻される。八セル表で「E が覆う」と表現してきた領域は、機能的に読み直せば、E がその領域に対して係留作動を働かせているということに等しい。

重心の本来の座 FOE は、この読みのもとで、別の姿を見せる。FOE とは、F(流動の経路)、O(操作の経路)、そして係留(E から課される引き戻しの経路)——三つの作動経路がすべて開かれている唯一のセルである。重心がそこにあるとは、三つの経路の交点にあるということに等しい。

係留摩擦——O の自然な勾配への抵抗

ここに、もう一つの事実がある。

E から課される係留要請を、O が受け入れる——この受け入れには、操作の側にとっての境界面の不整合がある。O は自前の勾配を持ち、自前で観測しうる変数を最適化する。外から入ってくる要請は、その自前の勾配と整合するとは限らない。むしろ、構造上、整合しないことのほうが多い——E が課すのは、まさに O の自前の勾配では掬えなかった項だからである。整合しない要請を最適化の項として組み込むことは、O の自然な勾配(FO-・-O- 方向への拡張勾配)に対して、不可逆な抵抗として作用する。

摩擦(「圧縮から創発する世界」第2章 §2-2)を思い起こせば、これは正面の摩擦である——区別された二つの作動論理(O の自前の勾配と、E から課される係留要請)が接続を保ちながら動くとき、その境界の不整合から生じる不可逆コスト。

この係留こそが、保つ仕事(命題 WORK-2、「圧縮から創発する世界」第2章 §2-4)の、文明レイヤーにおける現れである。立てた選別構造を散逸に抗して保ちつづける作動が、ここでは操作(O)と引受(E)の独立変動による重心の乖離に抗う係留として現れる。その代価が保つコスト(第17章 §17-2)であり、O の自然な勾配に対する抵抗の正面が係留摩擦である。

海の像で読み直す

海の像(§16-2)に戻ると、係留作動の輪郭が見えてくる。

我らの海(E)は、世代の語りで広がる輪郭である。「ここまでが我らの海だ」と感じ取る者たちのうちで、その感覚が次の世代へと運ばれて、ようやく一段広がる。漁具(O)は、技術と道具の蓄積で伸びる——舟に積まれ受け継がれて、いよいよ遠くまで届く。

我らの海を感じ取る側と、漁具を動かす側とは、ふだんは同じ人々であるように見える。だが、二つは別の作動である。漁具は、感じ取られた我らの海の境界を、伝えられて初めて自分の動きの制約として持つ。伝えられなければ、漁具は自分が触れる魚の量と、伸びる先の地形だけを見て、攫えるところへ伸びる。漁具が攫えるかどうかの報酬関数のうえで、最大化を続ける。

我らの海の感覚から、漁具を動かす手へ——この伝達の経路が、係留である。錨を打ち、効かせつづけること——重心が FOE に留まるとは、その作動が継続していることに他ならない。

そして、伝えられた「ここまでが我らの海だ」を漁具の側が引き受けるとき、漁具は自分の自然な勾配(攫えるだけ攫う)に対して、外から来た制約を担うことになる。この担いが、漁具の側の係留摩擦である。

§16-5 乖離——重心が FOE から滑る

重心の本来の座 FOE は、F(流動)・O(操作)・係留(E から課される引き戻し)の三つの作動経路がすべて開かれた領域であった。だが F・O・E は互いに独立に動く(FOE-1)。三つの経路がそろって開きつづける保証はない。FOE は、放っておけば崩れる。では、どちらへ崩れるのか。

重心を FOE から引き剥がすのは、操作(O)の論理である。操作は、対象の内実ではなく、固定された報酬関数の最大化として作動する。この論理は、E が係留作動を担っているか、流動(F)が伴っているかを問わない——自前の勾配のまま、攫える先へ伸びる。だから O が動けば、重心は三つの経路の交点 FOE から外れていく。本書はこの、重心が FOE から外れていくドリフトを乖離と呼ぶ。係留作動の側から見れば、乖離は係留が解ける過程として読める。

変性方向——外れたまま、-O- へ

外れ方には、独立な二つの経路がある。係留が解けたまま操作が伸びれば——E が追随しなければ——重心は FO- へ滑る。操作は引受の外へ出、流動は保つが引き受けられない文明の出力となる。係留は維持されていながら流動が尽きれば——F が伴わなければ——重心は -OE へ滑る。引受は保つが、汲むべき流れの尽きた固定 Stock の費消に入る。二つは別の不全だが、いずれの中間位置も、やがて終端 -O-——係留も解け、流れも込まず、引き受けられず片づかない固定領域——へ吸い込まれていく。

海の像でいえば——漁具が我らの海の内に留まるのは、「ここまでが我らの海だ」という伝えが手に届いているあいだだけである。伝えが途絶えれば、漁具は攫えるところへ伸びて我らの海を出る——よその生きた海を攫えば FO- へ。伝えが届いていても、我らの海の底から魚群が去れば -OE へ。いずれ魚の戻らぬ死んだ海底(-O-)を曳くに至る。

吸い込まれる機序は、二つの経路で異なる。被引受 Stock(-OE)は、消尽していくものを引き受けつづける構えが持続しがたく、E はやがてそこから離れる。無主の蓄積(FO-→-O-)は、引き受ける主体なしには解体の作法(Mourning)が働かないため、片づかないまま累積していく。

再生方向——E が先導し、O が追う

だが、ドリフトは一方向ではない。順序を逆に取れば、向きも逆を向く。E が先に、流れ込むフロンティア(F-E)を引き受け、そこへ O を建設して追随させるとき、重心は FOE へ向かう。これは、FOE の誕生(FO→FOE、§16-3)を、文明のうちで反復することにほかならない。生まれる方向の経路である。海でいえば、まず生きた新漁場(F-E)を敬意をもって「我らの海」に迎え、そこへ漁具を建てて追わせる。錨が、生きた海のうえへ打ち直される。

この向きには、すでに名がある。枠(「我ら」)を先に立て、操作をその内側で動かす構え——実存先行(第15章 §15-6)である。第15章は、操作先行の三型(追随・抑制・不追随)の外側にこれを置き、文明が「我ら」を築いてきた過程に対応させた。その過程とは、虚構の共有によって実存感が先に拡張し、操作能力と規模があとを追う経路である。同じ順序が、重心の動性の語では、F-E から FOE への再生方向として現れる。第15章が構えとして取り出したものを、本章は軌道として見ている。

ただし、この先導は見通しのうえに立つものではない。引受が見分けるのは、その内側である。外側に広がる領域のうち、どこに流動があってどこにないかを、E はあらかじめ知ることができない(この盲点は §16-6 で命題として立てる)。だが、それは再生方向を塞がない。E が手を伸ばした先が現に F に触れていれば F-E が立ち、触れていなければ --E が立つ。区別が成り立つのは、伸ばしたあとである。海でいえば、魚のいる海域を見定めてから我らの海を広げるのではない。広げてみて、そこに魚がいるかどうかが分かる。E の先導は、原理的に手探りであり、空振りを含む。 重心を動かすのは、F に触れた手だけである。生まれる方向の経路は、外れを織り込んで進む。

ここから読めるのは、重心が FOE に保たれるか否かが、引受の不等式 O ≤ E の成否そのものではなく、E が先導し、O が生きた F のうえへ追随するという順序にかかっていることである。生まれる局面では E が O を先導し(F-E→FOE)、終わる局面では O が E を置き去りにする(FOE→-O-)。同じ座標系が、生成と終局では逆向きのドリフトを示す。

図16-4
図16-4 乖離の軌道——変性方向(O先行)の FOE→FO-/-OE→-O- と、再生方向(E先行)の F-E→FOE

文明は、この乖離に一様に応じるのではない。重心を FOE に保つために E を広げるか、O を畳むか、係留を放棄して -O- 側へ滑るにまかせるか——応じ方は三つに分かれる。

§16-6 三つの文明相——文明の出力・コスト・リスクへの態度の三類型

三つの文明相は、前節の乖離への態度の違いである。§16-5 まで、乖離は重心が FOE からどこへ滑るかという幾何の語で追ってきた。同じ乖離を、文明が何を得て何を失うかの語——文明の出力・コスト・リスク——で測り直すと、三つの文明相の分かれ目が見えてくる。文明の出力は O の広がりに、コストは係留の仕事(FOE-4・5)に、リスクは -O- への応報(§15-7)に対応する。

文明の出力は、当該系が世界に対して産出するもの、行為が及ぼす変化の総量である。操作が覆う範囲(O)の大きさで決まり、E の大きさでは決まらない。E が小さくても O が大きければ文明の出力は大きく、E が大きくても O が小さければ文明の出力は小さい。文明の出力は操作能力の側の構造であって、引受の側の構造ではない。ただし、その大きさは覆う範囲の広がりだけで尽きるのではない。広がりのうえに立つ深さもまた有効勾配の急峻さを作り、文明の出力を成す。

コストは、重心を FOE に係留する仕事である(FOE-4・5)。O の拡張に E を追随させ、引受の不等式 O ≤ E を成立側に保つ——共感・教育・儀礼・物語を通じて、世代を越えて「我ら」の輪郭を引き直す仕事(遅延回収因果の引受)。係留作動が継続するかぎり、O の自然な勾配への抵抗——係留摩擦——を継続的に担うことになる。支払われなければ E は O に追随できず、係留が解けて、重心は乖離する。

リスクは、流動(F)を欠く操作が抱える応報の可能性である。汲むべき流れの尽きた蓄積を掘るとき——重心が -OE へ、さらに -O- へ滑るとき——引き受けられないまま流出した帰結が、意味付け回路を欠いた非線形回収因果として、選別構造を突き破って立ち戻る(§15-7)。当該系の判断システムが事前に同定できない構造をもつため、学習回路には取り込めない——単なる「失敗」とは異なる。引き受けられている側(-OE)ではリスクは可視化され、引き受けの絶えた側(-O-)では見えないまま累積する。

三者は独立に動き、トレードオフをなす。文明の出力を追えばコストが追いつかずリスクが増え、コストを引き受ければ文明の出力は抑えられ、リスクを管理しようとすれば文明の出力の抑制とコストの引受の両方を要する。どれを重く見るかが、文明の様態を分ける。

その分節は、当該文明が中核として引き受ける非対称性因果類型(第15章)と対応関係を持つ。第15章の非対称性因果の四類型——即時回収・遅延回収・非線形回収・回収断絶——は、文明相の中核類型として畳まれる。即時回収を中核とすれば管理安定相、遅延回収を引き受ければ循環耐久相、回収断絶を温存すれば拡張加速相である。非線形回収は独立の相ではなく、拡張加速相が抱える応報として現れる。時間の軸(いつ・誰に返るか)で測ったこの分節は、前節(§16-5)が形の軸(重心が FOE からどう乖離するか)で測り直した三つの文明相と、同じ一つの対象の二つの読みである。三つの文明相と四類型は、互いを吸収して一方が消えるのではない——以降の本文では両体系を併存させる。文明相の語は乖離への態度(構え)の名として、四類型の語は引受の不等式の成立/破綻ごとの因果配置の名として(第15章 §15-8)、それぞれ独自の切り口で用いる。

三つの文明相の比較

三つの文明相を、中核因果類型、E と O の関係、三つの構造変数への態度、動員機構、重心の観点から並べると、以下のように整理される。表中の「充足」は、引受の不等式 O ≤ E が満たされていること——すなわち操作が引受の内側に収まっていること——を指す。満たし方の違いが管理安定相と循環耐久相を分ける。

管理安定相循環耐久相拡張加速相
中核因果類型即時回収因果遅延回収因果回収断絶因果(→非線形応報を抱える)
E と O の関係O ≤ E(縮退充足:両者とも小さく揃う)O ≤ E(拡張充足:両者とも拡張、E が追随)O > E(O 拡張、E 据置)
文明の出力抑制E に追随する範囲で拡大最大化
コスト(遅延回収因果の引受)小さい大きい(引受の仕事を能動的に投じる)系外へ転嫁
リスク(非線形応報)管理を志向引受の範囲内で抑制認識しない・判断対象に立ち上げない
動員機構内的な接続拡張的な接続序列的・抽出的な接続
係留への態度三つの輪郭を小さく密着させ係留摩擦を最小化拡張領域すべてで係留を能動的に維持係留を放棄
重心FOEFOEFO- または -OE から -O- へ

動員機構の三様態——内的/拡張的/序列的・抽出的な接続——は、媒介接続(第7章)の現れである。内的な接続は、媒介を要しない直接の接続(小規模・対面的な「我ら」)。拡張的な接続と序列的・抽出的な接続は、媒介接続の二つの様態にあたる。前者は共有された認知と応答性を介して「我ら」を束ね、後者は序列・権力・市場機構を介して動員する。三つの文明相の動員機構の差は、「我ら」をどの様態の接続で束ねるかの差である。

配置は一つでは読めない——広がりとズレ

三つの文明相は、独立に並ぶ種ではない。配置を読むには二つが要る。O・E がともにどこまで届いているか(広がり)と、どちらか一方だけが届く帯がどれだけ厚いか(ズレ)である。スナップショット図でいえば、ズレは O と E の重なりの縁に生じる帯——FO-・F-E・-O-・--E のセル——にあたる。二つは、一方が他方を肩代わりしない。ズレが O の側へ開けば拡張加速相。ズレが小さい側は広がりが分ける——両者を小さく揃える管理安定相と、拡張しながら揃えつづける循環耐久相。ズレ一つでは、縮退充足と拡張充足の別は読めない。なお、この面が切り取るのは配置である。そして、当該系が自らの配置をこの二つで読めるとはかぎらない。

ここで重要なのは、引受の不等式の成立そのものは、重心が FOE に保たれることを保証しないことである。表のとおり、管理安定相も循環耐久相もともに O ≤ E を満たす。両者を分けるのは不等式の成否ではなく、その満たし方である。E を O の上へ育てて満たす拡張充足(循環耐久相)か、両者をともに縮めて境界上で満たす縮退充足(管理安定相)か。そして、引き受けられないまま参照不能化される領域の規模が、両者のあいだで異なる。

海の像で一つ、補助線を引いておく。舟の大きさ——小舟(個)か、船(氏族)か、船団(文明)か——は、どの相とも独立である。 舟の大きさは、束ねの大きさ——何人を「我ら」に束ねているか——であり、本章の射影が畳んだ当の軸である(§16-1)。面の広がり——O・E がどこまで届いているか——とは、別の事柄である。相を分けるのは、漁具(O)を我らの海(E)の内に保つか、外へ投げ広げるか、である。慎ましい我らの海に竿を垂らすのが管理安定相、広い我らの海を世話して網をその内に保つのが循環耐久相、我らの海の外へ地引網を投げ、序列で束ねた船団で曳くのが拡張加速相である。

この面は、第Ⅱ部の装置と一つの対応を持つ。第7章の段階表——①「我ら」未成立から⑥実存縮退まで——は、三軸の座標系から集合の大きさを畳み、O と E の相対関係だけを取り出した論理的可能性の空間だった。畳んでいる軸は、本章の射影と同じである。面の語でいえば、段階表はズレの方向を刻んだ目盛りであり、広がりを畳んでいる。だから、④両軸均衡は特定の相ではない。④は O ≤ E が均衡する位置である。その位置は、両者を小さく揃えても(縮退充足)、拡張しながら揃えつづけても(拡張充足)実現される。④のうえで管理安定相と循環耐久相を分けるのは、段階表が畳んだ広がりの側である。位置と、保ち方。段階表は前者を刻み、文明相は後者を分ける。そして④から⑤操作単独拡張、⑥実存縮退へ移る列は、本章の語では乖離の運動——重心が FOE から FO- へ、さらに -O- へ滑る軌道——にあたる。第7章はこの乖離の素因として、継承様式の非対称を取り出した。操作の側は外部装置と制度によって自走しうるが、実存の側は各個体の経験を介してしか作動しない。この非対称は、係留がなぜ E の側の仕事であるか(§16-4)を、装置の側から言い直したものにほかならない。

三つの文明相は、いずれか一つが単独で作動する純化形として本章では取り出している。実装においては、内側で管理安定相を保ちながら外側では拡張加速相の帰結を引き受けつづける層状の組み合わせ——遮蔽層/曝露層——として現れる形態もありうる。

管理安定相——コスト・リスク重視、出力抑制

管理安定相は、文明の出力よりもコストとリスクの負荷のほうを重く見る文明相である。O の及ぶ範囲を意図的に狭く保ち、文明の出力を抑制することで、コストの発生とリスクの蓄積を小さく保つ。

中核とする因果類型は即時回収因果である。両軸(O と E)が小さく揃った範囲のなかで運動を組織する——O は E の内側に収まり、両者は同じ範囲を覆っている。引受の不等式は構造上自明に成立する。Flux/LOT といった不安定要因に対しては、能動的に管理して運動領域の内側に侵入させない構えを取る。

動員機構は、小規模で内的に接続した主体集合に基づく。共有された「我ら」のうちで共感と相互認知が直接的に作動するため、動員のための装置を別途要しない。管理安定相は、文明の出力を小さく保つ代償として、コストとリスクを最小化する。引受の不等式の安定的成立を保証する一方で、文明の出力の規模そのものは上限を持つ。

循環耐久相——コストを引き受ける、文明の出力とコストの緊張のうえで運動する

循環耐久相は、文明の出力の拡大を許容しつつ、それに伴うコスト(E の拡張の仕事)を能動的に引き受ける文明相である。O の及ぶ範囲が広がるにつれて、E も追随させて拡張しようとする。

中核とする因果類型は遅延回収因果である。O が広がっても、E が時間的・空間的・実存的に拡張して O ≤ E を維持しようとする。世代を越えた継承機構、長期的な蓄積を許容する制度、即座には測れない価値を保持する仕組み——これらの維持に、共感・教育・儀礼・物語の反復の仕事が投じられる。

動員機構は、拡張的に接続された E の維持に依拠する。「我ら」の境界が広がるにつれて、その範囲全体にわたる共有の認知と応答性を維持する作業が必要になる。主体の認知能力の限界を超えて E を拡張しようとするためコストがかかり、当該系は負荷を抱える(この負荷が担い手にどう体験されるかは第Ⅴ部の主観層で扱う)。E をどこまで拡張できるかが、この相の文明の出力の実質的な上限を規定する。拡張が認知能力の限界に達した時点で、文明の出力の拡大も停止する。

循環耐久相は、コストを引き受ける仕事の継続のうえに成立する。その仕事の内実は二重である。E が流れ込むフロンティアを先導して引き受け、O を生きた F のうえへ追随建設する先導の仕事(重心を FOE へ向ける)と、放っておけば重心を -O- へ引く二つのドリフト(被引受 Stock からの E の離脱、無主の蓄積の累積)に抗してこれを押し留める仕事である。仕事が継続するあいだ、引受の不等式は成立側に保たれる。仕事が途絶えれば、相は別の様態へ転落する。

拡張加速相——文明の出力追求、コスト転嫁、リスク無視

拡張加速相は、文明の出力の最大化を追求する文明相である。O の及ぶ範囲を能動的に広げつづけ、その拡張に E を追随させない。

中核とする因果類型は回収断絶因果である。E の境界の外側に流出する帰結を、当該系の判断回路から排除しつづけることで、文明の出力拡大に伴うコストの引受を回避する。コストは——遅延回収因果として引き受けるべきものは——系外へ転嫁される。リスク——非線形応報の可能性——は、認識されない。当該系の判断システムが事前に同定できない構造(§15-7)を持つため、リスクは判断対象として立ち上がらない。

動員機構は、序列的・抽出的に接続された主体集合に依拠する。共有された「我ら」の範囲は小さく保たれる一方、O は遥かに大きく広がる。動員は、E の外側に位置する主体や領域に対して、序列・権力・市場機構を介して作用する。共感や応答性の共有を前提とせず、配置として「同じ意思の方向に動員する」ことが達成される。「我ら」を実存的に拡張せずに動員力を獲得しうる。この機構が、拡張加速相が小さな E のもとで巨大な文明の出力を実現する構造的根拠である。

拡張加速相は、文明の出力の最大化と引き換えに、コストとリスクを系外あるいは未来へ送り出す。系外に送り出されたコストの累積は、宇宙論的な地では作動しつづけ、いずれ非線形応報として立ち戻る。だが、その立ち戻りまでのあいだ、当該系の判断回路には「破綻の徴候」が現れない。

この見えなさは、構造的なものである。O > E のもとで流出するコストや基盤の消尽は、O が及ぶ範囲にありながら、E が引き受ける範囲の外に落ちる。スナップショット図でいえば、O は及ぶが E が届かない FO-・-O- のセルである。当該系が因果を引き受ける分解能の外に落ちるため、それは「悪い兆候」としてすら現れない。

消尽はなぜ見えないか——引受の外の不可知

ここに、見落とせない質的な差がある。同じ「操作するが引き受けない(O > E)」でも、それが FO-(流れ込みつづける流動源) に向かうか、-O-(再供給されない固定 Stock) に向かうかで、帰結はまったく異なる。前者の費消は流入が補うため相対的に無害だが、後者は——次の文明の起動条件そのものを成す蓄積を——取り返しなく削っていく。ところが E は、自分の外側にあるこの二つのセルを見分けられない(FOE-8)。消尽していく -O- を、無害な流動源 FO- と取り違えて費消しつづける——これが、破綻の徴候が現れないことの内実である。

なお -O- は、二つの姿で本書に現れる。一つは、外的な Stock を単に消尽していく姿——本節までの記述はこれを追ってきた。もう一つは、系が自らの Stock を F として取り崩す姿——外部の流動が枯れたのちに、自系の出力を次の入力に回してなお圧縮を続ける、入れ子の自己言及の姿である。後者は「知識の重さ」(第9章 §9-3)が自己言及相として立てたものと同じ構造である。多段圧縮の側から見た同じ幾何は「参照されるから、存在する」(第18章 §18-4)が引き受ける。-O- は消尽形で立ち上がり、自系 Stock の入れ子化=自己言及相として深化する——両者は、同じセルの二つの読みである。

ここまでは、認識の側の話である。見分けられないことが害に転じるのは、その二つが帰結の側で対等ではないときにかぎられる。

この区別は、再生される流動源(FO-)と再生されない固定 Stock(-O-)を分けるものである。命題 FLUX-2(「圧縮から創発する世界」第2章 §2-5)の文明レイヤー特殊化にあたる。FLUX-2 が立てたのは、Flux の二面——出力=補充される流れと、蓄積=再生されない蓄え——である。Stock/蓄積という構造区別が上流の地であり、その有害性と可視性の差が、引受の不等式に紐づく文明レイヤー固有の幾何として加わる。

勘定の語彙で言えば、こうなる。FO- と -O- を見分けられない系勘定は、再生されない蓄えの取り崩しを、補充される流れからの収入と同じ記載で付ける。取り崩しであることが記載に現れない以上、「まだやれる」という余力の見積もりは、蓄えが減るほど実態から系統的に乖離していく。見積もりの誤りが確率的に散らばるのではなく、過大の側へ偏りつづける。系勘定はそのつど閉じつづけ(勘定の閉じ、第3章 §3-3)、閉じない帳簿の側——消えない支払いの記録——との乖離だけが累積する。頓死が「予兆なしに来る」(第3章 §3-4)ことの、文明相の水準での現れがここにある。

「実存的我ら」をその範囲まで広げて引き受けること——それだけが、この区別を可視化する。引受の不等式は、ここでは規範的な要請である前に、自らを蝕む消尽を見るための認識論的条件として作動している。引き受けないかぎり、止まる手がかりそのものが生じない。

三つの文明相は優劣ではない——そして競争環境へ

三つの文明相は、三つの構造変数(文明の出力・コスト・リスク)のトレードオフへの異なる態度として現れる。各相は、固有の機能と固有の脆弱性を持つ位置として並ぶ。管理安定相は文明の出力の上限と引き換えに安定を得、循環耐久相は負荷のうえに動的均衡を維持し、拡張加速相は破綻のリスクを抱えたまま文明の出力を最大化する。

三つの文明相は、それぞれが構造的に「ある」一つの様態である。ここまでの記述に、三つの文明相のいずれかを規範的に推奨する含意はない。

一つ、比喩を補助線として置く。同じ水素と酸素から、水もできれば、過酸化水素もできる。水のほうが、できやすい。だが、できやすいことと、上等であることは、別の事柄である。宇宙は、水が過酸化水素より上等だとは言わない。できやすいものが、できやすい——あるのは、それだけである。三つの文明相のあいだにある差も、これと同じ種類の差である。どれが正しいかではなく、どちらへ転がりやすいか。

ただし、三つの文明相は対称的な位置にあるわけではない。とくに、複数の文明が同一の現実座標系を共有して並走する競争環境のもとでは、三つの文明相それぞれの動性は対称性を失う。この対称性の破れのうちで、拡張加速相は頓死を内在させ、第Ⅳ部の扉が立てた第一の主張——「我ら」の境界が文明の運命を直接規定する——が構造記述として接地される。

§16-7 頓死の幾何——競争環境のもとの拡張加速相

ここまで、F・O・E が独立に動くこと、重心の本来の座とそこからの乖離、三つの文明相への分化、そして引受の外で消尽が見えなくなることを見てきた。本節は、これらに競争環境を一つ加える。複数の文明が同じ現実座標系を並走するとき、拡張加速相がなぜ短期的優位ゆえに頓死を内在させるのか——その構造(FOE-11)を導く。

競争環境の導入

現実座標系は、当該系の MANES がどう分節するかとは無関係に存在する(§16-1)。この性質が、複数の文明レイヤーにとって含意を持つ。異なる MANES座標系を持つ複数の文明が、同じ現実座標系を共有しうる。

複数の文明が同じ現実座標系のうえで並走するとき、それぞれの O は同じ R空間のなかで競合する。一つの文明が O を拡げれば、その範囲に他の文明の領域が含まれうる。一つの文明の操作の帰結が、他の文明の運動領域に流出しうる。三つの文明相は、孤立して存在するのではなく、相互作用する場のうえに置かれる。この競争環境のもとで、三つの文明相の対称性は失われる——それぞれの相の選好が、競争のなかで異なる帰結を生むからである。

拡張加速相の短期的優位

複数の相が並走するとき、まず顕在化するのは、拡張加速相の短期的優位である。

拡張加速相——片肺拡張(FOE-7)——は、O だけを拡げ、E を追随させない。重心は FOE から FO- へ滑る。この相は、文明の出力を最大化する。コストを系外へ転嫁し、リスクを判断対象に立ち上げないため、文明の出力の規模に対する内的な制約が小さい。同じ時間スケールで観察すれば、管理安定相も循環耐久相も、その出力規模には届かない。

循環耐久相が遅れるのは、構造的な理由による。循環耐久相は、O の拡大に E を追随させる引受の仕事——重心を FOE に係留すること——を投じ、拡大の速度はその仕事の速度に律速される。拡張加速相は、その係留を放棄するぶん、同じ時間スケールでは拡大が速い。管理安定相は、そもそも O を小さく保つため、出力規模で並ばない。

短期競争では、拡張加速相が出力規模・拡大速度・操作射程のいずれにおいても他相を上回る。この優位は、能力差や戦略差ではなく、係留を担うか放棄するかから帰結する。

短期優位が、そのまま頓死になる

しかし、この短期的優位は、長期の存続を保証しない。優位そのものが、頓死経路を構成する。経路は、ここまで束ねた命題から幾何的に辿れる。道筋は四つの折り目をなす。深掘りが文明の出力を立てて視野を締め、操作が流動を外れて固定 Stock に達し、消尽が引受の外で見えないまま進み、応報が他責系で反復される。

森林を例にとる。森林を「造船のための材木」という単一の効用へ縮約すれば、材木の産出は跳ね上がる。森林という領域そのものは操作されつづけ、失われはしない——握りつぶしても本体は壊れない、水を含んだスポンジのように。だが締めるほどに、「菌糸の苗床」であったような性質は、覆いの外——参照されない脱落域(LOT)——へ落ちる。深掘り(高文明の出力)と、視野を締めること(LOT への脱落)は、同じ一つの縮約の、縦の顔と横の顔である。

そして、その深掘りが向かう先に、流れ込む Flux があるとは限らない。O だけが拡がって E が追随せず、さらに O の論理が重心を Stock 側へ引くとき(乖離、FOE-6)、操作は流動に盲目のまま縁を拡げる(FOE-1)。その縁が更新されない固定 Stock(-O-)に届くとき、いまの文明の出力は最大に達する。だがそれは、絞り尽くせば戻らない水を絞っている。乾いたスポンジを握りつづけるように、本体は無事に見えたまま、絞るものが尽きる。化石燃料の費消はこの幾何の典型である。数億年の堆積という再供給されない固定 Stock が、流れ込みつづける流動源と同じ手つきで費消される(FOE-9)。

しかも、この消尽は当該系から見えない。-O- は E の外にあり、E はその外側を——消尽していく固定 Stock と無害な流動源とを——見分けられない(FOE-8)。引き受けていないがゆえに、止まる手がかりそのものが生じず、運動は回収断絶因果のモードで継続する(FOE-10)。

流出した因果は、宇宙論的な地では作動を続け、累積する。蓄積が当該系の選別構造の閾値を超えると、無視しきれなくなり、非線形応報として強制的に立ち上がる。意味付けの回路を欠いた事象として、応報が判断回路に侵入する。

応報の後、当該系には事後的な意味付けの再構成の経路が開かれる(§15-8)。自責系——帰結の原因を当該系自身に同定し、選別構造そのものを引き直す経路。他責系——原因を外側の別の存在に同定し、選別構造を温存したまま意味付ける経路。

拡張加速相の特性が決定的に作用する。拡張加速相の選別構造は、帰結を E の外側へ押し出す構えを温存している。選別構造がそのまま温存されるかぎり、再構成は構造的に他責系の形しかとりえない。新たな対象が原因として帰属され、形式的には遅延回収の外形を持つが、構造的には O > E の破綻が継続する。E は実質的に拡張せず、重心は -O- 側に残ったまま、運動が再開される。

この反復のなかで、選別構造は引き直されず、学習回路は成立しない。各サイクルで、重心は FOE に戻らず、-O- 側へさらに深く沈む。運動が支えうる規模そのものが、反復のたびに縮退していく。各サイクルが図16-4 の変性方向をなぞり、軌道は循環のたびに深くなる。最終的には、累積が当該系の存続を支える下位レイヤーの境界条件を侵食し、歯止めなく破綻に至る。

この終端で、頓死の規定(「LEFFLAとLOT」第3章 §3-4)が、動態の語で回収される。頓死とは、LEFFLA がなお残存しているにもかかわらず、系の自己保持に必要な差異が、選別構造の歪みによって参照不能のまま LOT 側へ落ちていくことであった。-O- の見えない消尽とは、まさにこの差異が、引き受けられないまま(回収断絶のモードのまま)削られていく過程にほかならない。この差異とは、当該系の存続を支える下位レイヤーの境界条件、そして次の文明の起動条件を構成するものである。静的に書けば「自己保持に必要な差異の LOT への脱落」(第3章)、動的に書けば「重心の -O- への沈降と他責系の反復」(本章)、会計の語で書けば「勘定は閉じつづけ、帳簿に未決が積もる」(第3章 §3-3〜§3-4)——頓死の規定と頓死の幾何と勘定の閉じは、同じ事態の三つの記述である。

経路の全体を、一つの命題に畳む。

ここで立てた重心の -O- への乖離を受けて、本書の一つの観察される傾向が立つ。

短期的優位と長期的頓死傾向は、別々の事態ではない。係留を放棄するという同じ一つの構えが、短期では優位として、長期では頓死傾向として現れる。短期優位ゆえに頓死傾向を内在する——これが、競争環境のもとで拡張加速相が辿る経路の幾何である。

§16-8 循環耐久相の維持と第一の主張の接地

循環耐久相と自責系の親和

循環耐久相は、拡張加速相と対照的な親和性を持つ。

循環耐久相は、O の拡大に E を追随させる引受の仕事を能動的に投じる(拡張追随、FOE-7)。この仕事そのものが、選別構造の継続的な引き直しを内包している。新たに含めるべき対象を認知し、応答すべき相手として位置づけ直す作業が、常時行われる。応報が立ち上がったとき、循環耐久相の選別構造はすでに引き直しの作動を持続しているため、自責系の経路が構造的に開かれている。重心は -O- へ深く沈む前に、引受によって -OE へ引き戻される。さらに、操作能力を生きた流動のうえへ建て直すことによって、FOE へ戻りうる。その建て直しとは、流れ込むフロンティアを E が先導して引き受け、そこへ O を追随させる作動である。

維持の難しさ——二重のコスト

しかし、循環耐久相を維持すること自体に、負荷がある。重心を FOE に係留する仕事は大きく、主体の認知能力の限界に常に圧力を受ける。並走する拡張加速相と比べれば、文明の出力の拡大速度は遅く、負担は重い——競争環境のもとで構造的に不利な位置にある。

しかも、その負荷は当該系の自業自得に限られない。並走する拡張加速相が回収断絶として系外へ吐き出した帰結が、循環耐久相の運動領域に流入する。海でいえば——並走する別の船団が曳き荒らした海底の荒廃が、我らの海へ流れ込む。流入してくるこの帰結は、送り出した他相の側では回収断絶因果だが、意味づける回路を伴わずに届くこちらの側では、非線形回収因果として立つ(第15章 §15-8)。循環耐久相が担うのは、自らの操作能力拡張に伴うコストだけでなく、この流入してきた帰結をも引き受け直して、自らの遅延回収因果へ繰り入れる仕事である。不利は二重化する——自業自得と他業自得の両方が、循環耐久相の係留作動に積み上げられる(係留摩擦の二重化)。

維持の難しさは、この負荷の累積に由来する。仕事が途絶えれば、循環耐久相は別の様態へ転落しうる——とくに競争環境のもとでは、拡張加速相への引力が常に作動している。

ここで、もう一つの観察される傾向が立つ。

第一の主張の接地

ここまでの論証によって、第Ⅳ部の扉が立てた第一の主張——「我ら」の境界が文明の運命を直接規定する——が、構造記述として接地される。

「我ら」の境界(E の輪郭)が O の拡張に追随するか否かが、重心を FOE に保てるか、Stock 側へ滑らせるかを分ける。滑った先で選別構造の引き直しが伴うか否かが、自責系の経路に乗るか、他責系の反復に陥るかを分ける。他責系の反復は頓死経路を構成する。

技術が、制度が、経済が文明を動かすという見方を、本書は肯定する。しかしそれらすべての上で、誰を「我ら」と感じるかという主観的な分節が——E の輪郭が——文明が HZ 内に留まりうるかどうかを分かつ構造的拘束条件として作動している。三つの文明相の動性論は、このことを構造記述として示した。

「我ら」の境界が文明の運命を分かつ——そして次の問いへ

本章は、第Ⅳ部の扉で立てた二つの主張のうち第一の主張——「我ら」の境界が文明の運命を直接規定する——を構造記述として接地した。F・O・E の独立変動を起点に、文明の重心の本来の座 FOE と、O の論理がそこから重心を押し出すことに抗う係留作動を取り出し、係留が解けた先の乖離と、三つの文明相の応答を並べた。競争環境のもとで拡張加速相が辿る頓死経路と、循環耐久相が抱える二重コストを示すまでで、引受の不等式が文明レイヤーで動的・不安定な拘束条件として作動することが確かめられた。

一方、不等式の動性の幾何は、本章では現実座標系の平面に射影された像として取り出されたにとどまる。文明の出力がいかに生まれ、どれだけの規模を、どれだけの安定性で支えうるかは、本章の射影法では立ち上がらない。操作の作動が深さ方向に多段に積み重なる構造、立てるコストと保つコストの非対称、現に支えている規模と将来維持できる規模の引き離しである。これらは、続く三章が引き受ける。出力が立つ場の幾何を「文明の出力の幾何」(第17章)が取り出し、深さ方向の多段構造と参照の構造を「参照されるから、存在する」(第18章)が内側から開き、そのうえで「どの規模まで、保てるか」(第19章)が規模の問いに正面から答える。

本章が引き受けたのは、入口の三つの問いの二つめ。重心は、どこにあるか、流動と操作と実存の重なりの射影法であり、FOEモデルと三つの文明相がその答えである。続く問いは——どの規模まで、保てるか、文明の出力の射影法である。同じ不等式を、文明の出力の側から射影し直すとき、幾何の軸では背景に退いていた深さが前景に立つ。現に支えている規模が伸びていることは、将来維持できる規模が保たれていることを意味しない——この引き離しをみていく。